別離の足音




 もう二度と会わない貴方へ。
 トリコさん、短い間でしたがありがとうございました。おそらくもう二度と会うことはないでしょう。
 ただ一つ言いたいのは貴方が嫌いだから姿を消すのではありません。むしろその反対に、貴方が好きだからこそ別れを決意したのです。
 好きだからこそ、釣り合いのとれないボクはとても苦しくて長い間悩みました。ガララワニのハントの頃から一緒に居たい気持ちはずっと変わっていません。
 もし変わったとしたらトリコさんの方でしょうね。ねぇ、貴方はカリスマ美食屋四天王だというのに、どうしてボクとコンビを組もうなんて思ったんですか?
 本当はボクじゃなくても良いんですよね? ボクだけが貴方の欲を満たせるわけじゃないんでしょう?
 ボクじゃなくて良いのなら、ボクを切ってくれれば良いのに。足手まといなら、貴方の側にいる資格はないというのに。
 どれだけの良い包丁を手に入れようと、所詮ベスト100にも届かないし、普通の料理しか出来ない料理人だ。
 ベスト50にもなる料理人というのは大抵美食屋としても名を売っている。
 ボクは最強の美食屋に相応しい最高の料理人には到底届かない。
 身体も平均以下で腕だって半人前。良い道具に恵まれたからと言って腕が良くなる訳じゃない。
 自由な貴方を想い、追いかけて。ここまできたけれどももう限界です。
 可能性がある料理人としてでしかボクを求めないというなら、もう解放してください。いえ、貴方から離れる覚悟をください。
 もう二度と会いたくないと思うのに、貴方を求めてしまう弱い心を絶つ覚悟をください。
 トリコさん、貴方はボクじゃなくても良いというのにボクには貴方だけだったなんて笑える話じゃないですか。
 ねぇ、今なら何も言わず別れてあげます。


 だから最後にもう一度、愛してください。







 きっかけはベジタブルスカイでの事だ。やっとの事で手に入れたオゾン草。そこで食べた野菜のどれよりも美味しくて、気分が高まっていたに違いない。
 オゾン草という特殊調理素材は二人で同時に食べる食材で、ボク達は呼吸を合わせてそれに歯を立てた。
 調理の仕方によって毒にも薬にもなるその野菜は、最後まで二人で食べると何らかの作用をもたらすようになっていたのかもしれない。
 最後の一口で、ごく当たり前のように口を重ねた。オゾン草を互いの口の中から奪うようなキス。相手の唾液とともに飲み込む。
 それは果たしてキスと呼ばれるものだったのかは解らない。気がつけば口の中には食材はなく、ただお互いの舌の感触を楽しんでいた。
 ねっとりと歯列を辿り、上顎を擽ったり、唇を食んだりと、まるでいつもしている行為のようにボク達はキスを楽しんだ。
 そのキスだけで充分すぎるほど煽られていたのは間違いなく、名残惜しげに口を離す。
 視線を交わしたかどうかは記憶にない。ただ次の瞬間にはボクはトリコさんに押し倒されていた。
 無遠慮に這い回る手が意図をもって熱を高めるように動く。手っとり早く股間を撫で回す手にボクは何の疑問もなく、身体は次の刺激を欲した。
 脱がされる衣服。全身に落とされるキス。広げられた脚。
 どうしてだろうか。ボク達はその場で何の言葉も交わさずにただセックスをした。
 おそらくこれはオゾン草を食べた影響だったのだろうが、ボクとトリコさんの関係は一変した。
 それまでの関係が全部崩れ、ボク達はセックスだけのために会うような関係になっていた。
 その隠れ蓑としてボク達はコンビになったのだろう。それはまるでついでのように……。




 初めて出会った時からずっとコンビになりたいと思ってはいたが、ベジタブルスカイでの行為があった後ではトリコさんの申し出を信じられなくても仕方ないだろう。
 なによりもガララワニの時のことがあった。
 初めてのハントについていきたいと伝えたときに好きにしろよと言ってくれたトリコさんだったが、たった一言、「コンビを組もうなんて大それた事を考えるんじゃねぇぜ」との冷たい一言を放ったのだ。
 その記憶はまだ新しくて、トリコさんからセックスした後に「コンビになってくれ」と言われた時も心の底から喜べなかったのだ。
 今ではコンビを組んだのはセックスするための隠れ蓑なのだと解る。解らないのはどうしてボク達がセックスするかだった。
 見た目がこれだからモテたことはない。女性とのお付き合いも皆無で、職場の女性陣ぐらいとか会話した事もないボクが男性と、それもトリコさんとセックスする関係になるとは思いもしなかった。
 あれから、なし崩し的に関係が続いている。
 つまり、ボクはトリコさんとのセックスの虜になっているのだ。トリコさんも同じなのだろうか。
 セックスだけの繋がり。トリコさんの心の内はいつもの事ながら解らない。
 詳しい説明をしたがらないトリコさんは日常でもセックスでも同じだ。ハントの時でも事前に詳しい説明をしてくれる人ではないし、後から聞かされる事が多い。
 セックスでも同じだ。どうしてボク達が恋人同士のようにセックスするのか解らなかった。
 ただボクはずっと憧れていたトリコさんの側にいられるだけで良かった。コンビだろうが恋人同士だろうが、どんな関係でも一番近くにいられるだけで良かったのだ。
 終わったその瞬間。一瞬にして冷静さが戻ってきて気まずい時間が流れる。
 葉巻樹をくわえて火をつけたトリコさんがボクの方を向いてニヤリと笑う。
「でけぇ声だったけど、そんなに良かったか?」
 満足げなのがいっそ憎らしい。解っていて聞くなんて悪趣味だ。
「今まで付き合った中で一番良いですよ」
 ボクは努めて、なんの余韻もないというように立ち上がると脱ぎ散らかした服を拾う。
 ついでにトリコさんの服も拾って椅子の背にかける。
「良いって言う割にあっさりしてるぜ」
 さっさと身支度をしようとするボクの背中にトリコさんの声が届くが聞こえないフりをした。
 ここはホテルグルメの一室だったが、IGO関係者のフロアで、全室がスイートルーム仕様だ。つまり無駄に広いわけだが、トリコさんはその一室をずっと押さえているらしい。
 トリコさんのスイートハウスはかなり郊外にあるので、主に食事で帰宅が遅くなるような時は利用しているのは知っていたが、ベジタブルスカイ以降はボクもこの部屋を利用するようになっていた。
 つまりこの部屋でボク達は身体を繋げるようになっていたのだ。
 広いバスルームの隅のシャワーブースで汚れた身体を清める。中には出さないでとお願いしているから後始末は至ってて簡単だ。
 胸や腹にかけられたトリコさんの精液を洗い流し、匂いのキツイボディーソープで清めればボクの身体からトリコさんの匂いは消えた。
 部屋へと戻ればトリコさんはまだベッドのうえで逞しい身体を隠そうともせず、いつの間にか頼んでいたらしいルームサービスでフルーツ盛りを片っ端から口に入れていた。
 上半身はハントの時なんかでよく見ているが、下半身となると別だ。そしておそらくボクのであろう精液で汚れていたりするので目のやり場に困る。
 せめて隠してくれれば良いのに、あの身体に抱かれていたのだと思うだけで身体が反応しそうだった。
「なぁ小松ぅ。お前ってさぁ、女と違っておねだりしねぇよなぁ。大抵はアレ買えとかコレ買ってくれとかうるせぇってのによ」
 ふと掛けられた言葉が胸に刺さる。今トリコさんはボクと女性とを比較したのだ。
 頭ではトリコさんにも付き合っている女性がいるだろう事は解ってはいてもだ。やはりボク達はただセックスしてるだけなんだと思い知らさせる。
 トリコさんのようにセレブと付き合う女性ならそりゃあ多少はおねだりもするだろう。
 貴方の色に染めて欲しいという彼女達の願望を、面倒そうに叶えているトリコさんが浮かぶ。
「だって大抵のものは自分で買えますからね。本当に欲しいものは買えないですが……」
 つい出てしまいそうになった言葉はもう取り消せない。本当に欲しいものはたった一つだったが、嫉妬混じりなのを気付かれてはいないように願う。
 しかし盛大にトリコさんの関心を引いたらしく身を乗り出してくるではないか。
「なぁ何が欲しいんだよ」
 これは答えるまで食いつきそうなのでボクは腹をくくった。
「腕ですよ」
 どうせ貴方に真意は伝わらないでしょうが、ボクは腕が欲しい。
「料理の腕か? そりゃ買えねぇなぁ」
 買えるものなら買ってやんのにと嘯くトリコさんに苦笑する。
 やはり伝わらなかったという安心感と絶望との両方をボクは味わっていた。
 ねぇトリコさん、ボクが欲しいのはあなたの腕なんですよ。ボクだけを抱きしめる腕が欲しいなんて我儘すぎですよね。
 努めて平気なフリで身支度をしていたが本当はかなり限界だった。身体中は倦怠感でいっぱいだったし、本当はぐったりしている。
 足も膝にも力が入らないし、震える腰もまだじんじんとして、敏感になった皮膚は触れる服すらに感じてしまっている。
 初めてのセックスが同性とで、おまけに溺れているなんてとんだ淫乱だ。
 身体の奥が疼く。
 まだまだトリコさんが欲しい。トリコさんの太くて熱い塊にぐちゃぐちゃにしてほしい。
 アナルセックスはクセになるというがまったくその通りだ。
 まだ研究しつくされていないオゾン草の影響があったからだろうが、初めての時から身体は柔軟にトリコさんを受け入れた挙げ句に溺れそうになっている。
 まだトリコさんが欲しいだなんて言葉は言えなかった。朝まで一緒に過ごしたいとか、毎食トリコさんの為に食事を作りたいとか……。
 そんな願いをボクはやっとのことで封じ込める。そんな事を考えちゃダメだ。ボク達の関係はもっとドライなものなのだから……。


以上、『別離の足音』の抜粋です。
両片思い系のハッピーエンド。



NOVEL TOP






TOP