もう夢は見ない




 ボクを見るトリコさんの冷たい視線。凍るような眼差しにボクの身体も凍りつく。
「同じ事を何回も言わせんなよ。これでコンビは解消だって言ったんだよ」
 青い髪がこんなにも冷たく見えたのは初めてだった。いつもは躍動感に溢れ、決して冷たさなど感じさせない青い髪がトリコさんの冷徹な表情を引き立てている。
 心なしか声音にも熱がない。熱い吐息でボクの名前を呼んだトリコさんと同一人物とは思えなかった。
「もうお前とは終わりだ。解ったか?」
 別れを告げる言葉を二度も繰り返されて流石のボクも理解した。
(あぁ。とうとうトリコさんはボクに愛想を尽かしたのだ)
 それなのにトリコさんを想うボクの気持ちは一ミリたりとて変わらなかった。むしろ変わらない事が嬉しくて、そして悲しい。
(ねぇ、本当は終わりだなんて嘘でしょ? どうしてそんな酷い嘘をつくんです?)
 心のどこかで現実的でない言葉がぐるぐると回っていたけれど、トリコさんの表情は本物だった。
 トリコさんのフルコースが完成して、お披露目の予定がすべて終わった最後の席で、トリコさんがコンビ解消を告げたのだ。
 それまで睦言を囁いたその唇が別れを紡ぐ。
 愛してるとさえ言ったのに。一生護ってやるとさえ宣言したのに。
 別れると言ったのは聞き違いなのか。それとも愛してると言ったのが聞き違いなのか。


□■□ □■□ □■□


「ほら小松、片付けなんかもう良いだろ」
 食後の一服を吸い終わったトリコさんはシンクの中の皿と格闘しようとしていたボクの背後に立った。
 ちなみに片付けは始めたばかりで何一つ終わってはいない。
「ダメですよ、今片付けないと帰りの電車がなくなるんですよ! ボクが帰ったら誰が片付けるんですか」
 手の込んだ料理をトリコさんの胃袋が満足するまで出したらキッチンもそれなりに汚れていて。大皿ばかりでそれなりの山を形成している。
「泊まって行けよ、コンビじゃねぇか」
 すっぽりとトリコさんの腕の中に収まってしまうボクの身体。トリコさんが耳元で「なぁ、いいだろ?」と低く囁くのだから質が悪い。
「泊まってまで片付けろって事です?」
 何を望まれているかは知っていたけれど、ボクがあえて別の意味で取り違えてみせれば、トリコさんはボクの耳朶を舐めた。
「違ぇよバーカ。帰したくないって言ってんの!!」
 エプロンの紐を外されたかと思うと向きを変えられ、整ったトリコさんの顔が近付いてくる。
「今度は小松が食いてぇ」
 欲情した瞳の色にボクの身体も素直に震えていた。いつだってこの人は自分の欲望に正直だ。
 ボクがトリコさんに抱かれた初めての日も、トリコさんに迷いはなくて「小松とセックスがしてぇ」といきなり唇を奪われたのだ。
「いつもそう言ってなし崩しにするんだから、先に片づけしましょうよぉ」
 視界の片隅に映る皿は油汚れ。あっちの茶碗だって水にぐらいは浸けておきたい。
 それにセックスした後に片付けなんて疲労困憊で出来ないに決まっているのだ。
「こっちはずっとお預けくってんだぜ? もう、待てないって言ってんだよ」
 トリコさんに高ぶる股間を押しつけられれば、ボクに欲情している事が嬉しくてぶるりと身体が震えた。
「なぁ、泊まっていけって」
「……はい」
 トリコさんの腰の動きの妖しさに惑わされるかのように、ボクは股間へと顔を近づけた。
 唇でジッパーを下ろせば黒色の下着の内側から押し上げるトリコさんのモノがピクピクと脈打っていた。
「もう欲しくてたまんねぇって顔しやがって」
 トリコさんに持ち上げられて調理台の上へと押し倒される。
 唇を重ね、シャツのボタンがトリコさんの案外器用な指先で外され、いたずらをするかのように胸の尖りを掠めていく。
「んっ」
 肌けられたシャツを脱がすのももどかしいのか性急なトリコさんの舌に胸の頂を舐められる。
 ちゅっと音を立てて乳首へとキスされただけでなく、肉厚な舌で転がされればボクの身体は簡単に火がついた。
 弱い脇腹を指で辿られればボクの身体はもうトリコさんから逃れられなくなる。
 もう後戻りは出来ない程に疼く身体。
 衣服の上からトリコさんがボクの股間を揉むものだから堪らない。
「ねぇ、トリコさん……こんなとこじゃイヤです」
 縋りつくようにしてキスを返せばトリコさんはにやりと不敵な笑みを見せた。
「ったく、小松は好きモンだなぁ。女のように胸揉まれて勃ててやがんの」
 心底おかしそうに目を細めて口の端をあげるトリコさん。そんな身体にしたのはトリコさんなのに酷い言い草だ。
「なんだよ、怒ったのか? いいじゃねぇか。エロい小松も可愛いぜ?」
 ボクが可愛いだなんて。まったく、トリコさんの言葉の選択はおかしいです。
「……そ、そういうトリコさんだってボクなんか見て反応してるじゃないですか」
 先程ジッパーを下げてやったトリコさんの股間の盛り上がりは尋常じゃないサイズで存在を主張している。
「あぁ、もうこんなになってるぜ」
 股間同士を擦り合わせるようにトリコさんが腰を振ってきてボクはその刺激に追い立てられていく。
「んっ、あっぅ……」
「なぁ二人で気持ちよくなろうぜ」
 見下ろすトリコさんの視線は獰猛な獣のようで、ぺろりと舌なめずりをする仕草は雄そのものだった。
「ト・トリコさぁん……」
「なんだよ、そんな声出すなって」
 トリコさんの股間の動きが早くなるものだからたまらない。
「お願いトリコさん……」
 自らも腰を浮かしてトリコさんの動きに応えれば、トリコさんの唇がボクの唇へと重なる。
 強引な舌が閉じているはずの唇を割って咥内を蹂躙し始める。
 舌を吸われて上顎を擽られれば何一つ抵抗など出来はしなかった。
「もう、ダメェ……」
 息を吸うのも苦しくて鳴き声混じりでトリコさんを引き寄せればトリコさんもごくりと喉を慣らす。
「オレも限界だ、小松」
 ぐるりと裏返され、ズボンを下げられたかと思うといきり立つトリコさん自身が遠慮もなく挿入される。
「あっ、トリコさん、や、そんな」
「何言ってんだよ、小松ぅ」
 何の抵抗も違和感もなくトリコさんを飲み込んだ後孔の、延びきった縁をトリコさんは指の腹で小刻みな刺激を与えてくる。
「や、ゃあっ無理、無理ですぅ」
 火花が散るような快楽がトリコさんと繋がったところから脊髄を駆け上がりそして下腹部へと響く。
「無理じゃねぇだろ。ところてんしてるくせによ」
 ぬちゅぬちゅと水音を生む後孔への刺激だけでボクの身体は絶頂へと導かれ、そして快楽の証を吐き出していたのをトリコさんに指摘されていた。
 恥ずかしさに身体を離そうとしても腰を掴むトリコさんが前後に揺さぶってきては思考などまとまるはずもない。
 何度も愛された身体は甘く溶けてトリコさんを包み込む。
「あー、小松ん中最高だわ」
 さほどの準備もなく挿入された挙げ句愉悦の声を漏らすなど、日頃からの行為がどれだけ頻繁であるかの証のようだった。
「なぁ、中に出すぜ?」
 一層トリコさんの動きが激しくなって、体格差からしてもボクの身体などまるで人形のように揺さぶられ続ける。
「な、中、いやぁ、やぁあ」
「うるせぇよ、……くっ、」
 拒絶など聞き入れられるはずもなく、身体の奥に熱さ迸りが注がれる。びくびくとトリコさんのペニスが脈打っていた。
 激しいセックスだったがいつの間にかそれにも慣れた。何度も繰り返される行為に、気持ち的にも肉体的にも抱かれる事に不都合など無くなってしまっていたのだ。
 むしろ愛される喜びに身体は歓喜の声を上げるようになっていた。
「あー、小松の中あったけぇ。次はベッド行くか」
 ぐったりしたボクからずるりとトリコさんが抜かれる。
「んっ、ふぅ……」
 ぞくぞくと、えも言われぬ快感が、まるで電気のように走り抜けボクを狂わせる。
「小松ぅ、ケツが満足できねぇってひくひくしてるぞ」
 膝を捕まれ大きく足を開かされ、秘部にトリコさんの視線を受ければ、いくら抱かれ慣れていても羞恥を覚えないはずがない。恥ずかしくて膝に力を入れて閉じたいのに許されるはずもなく……。
「そ、そんなに見ないでくださいよぉ」
「だってよー、小松がオレとお前の精液まみれなんだぜ? すんげーえろい格好だなぁ」
 セックスしたのだから当たり前のことなのに、トリコさんの嘲笑と恥ずかしさに涙が出てくる。
「泣くなよ、小松が可愛くて虐めたくなるんだって」
「だって、トリコさん……、こんなの……」
 両手で顔を隠してみてもトリコさんの視線を感じて居たたまれない。
「ほら、拗ねるなって。次はベッドでもっと可愛がってやるって」
「もう、や、こんなの。ボクばっかり恥ずかしいです」
 涙声になったボクにトリコさんもからかいすぎたと思ったのか、優しい声音で名前を呼んでくれる。
「なぁ、愛してるんだよ小松。もう離さねぇから、一生護ってやるから。なっ?」
 言葉を裏付けるようにトリコさんからキスの雨が祝福のように降らされる。唇だけでなく、額や鼻先。そして鎖骨や膝頭、足の指にもだ。
「ホント、です?」
 一生という言葉が照れくさくて。けれども何より嬉しくてまっすぐにトリコさんの目を見る。
ボクを見つめる真摯な眼差しはトリコさんの言葉が真実あると裏付けるもので、ボクは溢れる涙を堪えられはしなかった。
「こんなに愛してやってるのにまだ足りねぇみたいだな。仕方ねぇ……。朝までかけて証明してやる」
 ボクの涙をわざと誤解して受け取ったトリコさんはボクの開いた足の間に割り入り再び腰を進めようとする。
「ト、トリコさん?」
「ずっと一緒だぜ、小松」
 再び挿入されたペニスは充分な硬度を保ったままで、どうやら今夜は寝かせてもらえないのだろうとボクも覚悟を決めた。
 トリコさんに愛されるのはこんなにもボクを幸せにしてくれる。これからもずっとずっと一緒にこの幸せを育んでいく。


 それをボクはずっと信じていた……。まるで太陽が毎朝昇るのと同じぐらいボクはトリコさんの愛を信じていたのだ。


□■□ □■□ □■□


 トリコさんがくれた言葉は全部覚えている。ずっと一緒だと言った言葉。愛していると囁いた声音まで。
 しかしそれは偽りの言葉だったのだ。
 フルコースを完成させるためにボクは利用されていたにすぎなかったに違いない。
 つまりボクは捨てられたということで、否応なしに現実が突きつけられている。
 フルコースが完成したらコンビは解消して自由になるのが通例だけど、ボクはトリコさんに愛されていると思っていたから二人に未来があると信じていた。
 しかし、愛しているという言葉はボクへの餌にすぎなかったのだ。
 あのキスもセックスも……。ボクを繋ぎ止めるだけの餌。百歩譲っても、日頃トリコさんの食材を調理するボクへの感謝の意味しかなかったんだろう。
 セックスの相手にしてみればお粗末な相手だったろうにトリコさんは上手くボクを騙し続けた。
 愛されているという錯覚を植え付けて思いのままにしようとしたなら成功だ。
 ボクは今の今までトリコさんの演技に気がつかなかったのだから。
 愛されているだなんて、身の程知らずの幻想を抱いてしまったからこそ辛いのだろう。
 なんて恥ずかしい思い上がりだ。
 よく考えれば美食四天王のトリコさんがボクを相手にする不自然さに気付くはずだ。
 そもそもトリコさんがボクなんかを本気で愛するはずがないというのに。
 すべては幻覚だったのだ。
「解りました。今までお世話になりました」
 やっとの事で言葉を発して、そしてトリコさんに背を向けた。
 もう二度と会えないに違いない。
 どんなに会いたくともトリコさんが個人的にボクに会ってくれることはないだろう。
 今までトリコさんがボクに手を差し伸べてくれたからこそ隣を歩く事が出来たのだ。
 トリコさんがボクとコンビを解消したいと思ったのなら、それはつまり今生の別れになる。
 ボクは受け入れるしか選択肢はないのだ。
 それでもボクは捨てないで、別れないでと縋り付いて泣き喚くようなことだけはしたくなかった。
 物分りの良い男を演じるというよりも、ボク自身トリコさんに未練などないのだと思わせたかったのかもしれない。
 言い返す事すらせずにトリコさんに背をむけたボクをトリコさんはどう思っただろう。
 少しはボクを、ボクという料理人を惜しんでくれただろうか?
 いや、きっとトリコさんはボクが背を向けた瞬間にボクを記憶の底へと沈めてしまっているだろう。
 たまにはレストラングルメに来てくれるだろうか。
 ボクを求めてはくれなくてもボクの料理を求めてくれるだろうか……。
「……トリコさ、ん…」
 たかだか六ツ星シェフの味をトリコさんが求めるはずはないと思った瞬間ボクはその場に蹲っていた。
 道行く人々が不審な目でボクを見ていたが涙が次から次へと溢れ出てもう歩けない気がした。
 もう、道は無い気がしていた。




以上、『もう夢は見ない』より抜粋です。


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