恋をしたイカロス


 いつもの如く大量の食材を調理して、 達成感とともに食後の一服と、気を抜いていたらまたもやトリコさんに腕を掴まれ引き寄せられる。
 首筋に埋められた見目の良い顔。
「やべぇ。…良い匂いさせやがって」
 食ってくれってサインか? と真顔でいうものだからため息が出る。
「バカですか!」
 まったく……なんて事を言いだすのだろう。
「…はぁ。小松…」
 耳元で吐息が漏れ、名前を囁かれば、無意識にも刺激される劣情。
 少し掠れた声がトリコさんの雄の部分を剥き出しにしていた。
 今まで野生味は感じていても、トリコさんの雄の部分など初めてで。それは女性なら抗えるものではないに違いない。けれどボクは男なのだ。
 だからトリコさん相手に胸を高鳴らせるなんてあってはならなくて……。
「これは今の料理でついた匂いです!」
 油も使ったから、自分でもその匂いが解る。髪や服なんかはとくに匂いを吸収しやすいだろう。
 食いしん坊のトリコさんにとってそれは魅力的な匂いに違いないと思うのだが、ボクの心臓はトリコさんの言葉に踊らされる。
「なぁオレと会う日はシャワー浴びてこいよ」
 …低く、耳元で囁かれるトリコさんの甘い声。
 それは性的な意味じゃないだろうに、まるで肉体関係がある恋人に、シャワーを浴びる時間さえ勿体ないと迫るかのような台詞だった。
「……だから〜、トリコさんが言う美味しそうな匂いっていうのは、今の料理で…」
 ついた匂いだと言おうとした言葉を遮られる。
「違う、お前オレんとこ来る前に十夢に会っただろ。朝はフレンチトースト食ったし、昨夜一人エッチしただろ? んー2回?」
「ちょっ、それを知っててボクの指舐めたんですか!!」
 そんな事まで解るんですか!と、ボクは青ざめる。
 確かにトリコさんの言うように朝からフレンチトーストを作って、今日のために十夢さんの所で大量に買い付けた。
 そして昨夜はトリコさんの言うように2回右手を汚したのも事実だ。
 だからと言って、それを解っていてボクの手を舐めるなんて……。どんな嫌がらせだろう。
 真っ赤になってしまったボクの右手をまた舐めようとしたので慌てて引っ込める。
「あれ?当たっか?」
 一人エッチ。と、悪びれない顔の彼に瞬間的に怒りがわいた。
 トリコさんの誘導尋問に引っ掛かったのだと知ってももう遅い。
「もう!からかわないでください!」
 本気で怒りますと拳を振り上げても、トリコさんに効果は無いだろう。
「そうかぁ、小松は昨晩一人で慰めてたって訳か〜」
 ニヤニヤと何か言いたそうにしているトリコさんに目だけで何ですか?と聞けばずいっと顔が近づいた。
「なぁ、オカズなに?」
 ここでいうオカズというのは主菜・副菜のことではないのは間違いない。つまりボクが何をネタにしたかという事で……。
「ど・どうしてそんなプライベートまで教えなきゃならないんですか!」
 何か手元にあったらそれでトリコさんを殴りたい。…が目の前にあるのはドアップのトリコさんだけだ。案外整った顔をしているだけに心臓に悪すぎる。
「プライベートを知る必要があるのも、コンビだからだ。当たり前だろ」
「そ、そうなんですか!?」
 ボクが知らないだけで、美食屋と料理人がコンビであるためのしきたりとかルールとかあるのかもしれない。
「非力な料理人の体調に敏感でいるのも美食屋の務めだ。つー訳で、小松の身は俺に任せておけ」
 そう自信たっぷりに宣言されたのだけれど。
「…なんか違う意味で言ってません?」
 今の流れでいうとなんというか。下の世話までしてくれるというような感じがするのだけれど気のせいか。
 普通で言うならハントの時の身の安全を守ってくれるという事なんだろうけれど、流石に素直にお願いしますとは言えなかった。
「他に何かの意味に取れるか?」
 ったく、解っていてこの人は!!
 揶揄って楽しんでいるに違いない。本当に人が悪いったら。
 怒りを深呼吸で抑えているとソファに腰掛けなおしたトリコさんがテキーラを一口で飲み干してから口を開く。
「あれだな。そろそろ一緒になろうぜ」
「えぇ!」
 唐突過ぎる言葉にクラクラする。一体全体どうしたというのだ。
「間違えた。そろそろ一緒に住もうぜ。コンビなら当然だろ」
 ガシッと腰に抱きつかれトリコさんの頭が胃の辺りを押してくる。今度は臍あたりに息がかかった。
「ちょっ、くすぐったいですよ」
 一緒になるのも、一緒に住むのも。冗談だとは解っていても、どちらにしろハードルの高い話だ。
 そんな性質の悪い冗談一つに振り回されているボクの気持ちも考えて欲しい。それに、ボク的には出来れば今のままが良いと思っている。
 ちょっと変なトリコさんとかなり変なボクのままで。
 ずっと一緒に居れば、今の関係が変わってしまいそうで躊躇してしまうのだ。
 だから答えを保留したままでいると、トリコさんがボクの服の裾を食みだしたので慌てて逃げる。
「い、いくらトリコさんでも服は食べません、よね?」
 そんなボクの質問に、トリコさんは悪戯を見付かった子供のような笑みを返したのだった。


 その笑顔の下の本音。


『服なんて邪魔なモンは食べれるならさっさと食べてやりたい』







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