出口の無い迷宮




 部屋の中は暗い。灯りを点ける気にはならなかった。
 トリコは指を鳴らし、葉巻樹に火をつける。煙の臭いが雄の臭いを消すが、まるで残り火のように先程までの情事の匂いが鼻に残っている。
「ちっ」
 思わず舌打ちしてしまったのは少なからずショックを受けていたからだ。
 傍らでは青い顔をして眠る小松がいる。
 先程まで散々に犯しつくした身体に悪態しか出てこなかった。



 今夜、何があったのか改めてトリコは思い返す。
 たまたま小松の料理が食べたくなって、ホテルグルメへと足を運んだのだ。予約はしなくとも小松のパートナーというだけで融通が利いた。
「いつトリコさんが来ても良いように準備してるんです」
 そんな笑顔に騙された。自分だけが特別扱いされているのだという高揚感のままにトリコは小松に告げたのだ。
「お前が好きだ」
 一瞬驚いた顔をしたけれども、全身を喜びに震わせて頷いた小松が「……ボクもです」と言ったのでトリコは天にも昇る気持ちだった。
 だが今はどうだ?
 呆れ果てて言葉が出てこなかった。
 他人の手垢がついていないと思っていた自分が悪いのだと好意的に考えようとしても無理だった。
 小松が『……ボクもです』と言ったがそれは、トリコの思う気持ちより随分軽く思えたのだ。



 思い立ったが吉日のトリコにとって、小松と両想いだと解って身体の関係を躊躇うような事はしなかった。
 突然の告白のまま小松の仕事が終わるのを待って小松のアパートへと押しかけた。仕事中に掻っ攫う事をしなかっただけでも、小松への本気度が解るだろう。
それだけトリコにとって小松は大切な存在だった。
「好きだ」
 改めて、面と向かって伝える言葉には不思議と照れなどはなかった。
 迷いという言葉はトリコにはない。いつだって己の心が赴くままに生きてきたのだ。
 そして小松もまた心のまっすぐな男であったので、トリコの言葉を疑う事なく素直に喜んだ。
「とても、嬉しいです」
 涙で潤んだ小松の大きな瞳。吸い寄せられるようにトリコは唇を重ねた。
そっと触れるようなキスは小松を怖がらせないようにするためだ。不慣れであろう小松にトリコは少しずつ快楽というものを覚えていってもらいたかったからだ。
 唇と唇がそっと触れ合って、恐怖か期待か、震える小松がとても愛おしく感じた瞬間だった。込み上げてくる衝動にトリコは素直に従った。
「なぁ、いいだろ」
 下半身の昂りをわざと押し付け、見せつけるようにしても小松の反応は薄い。
「…えっ?」
 きょとんとした顔に傾げた首。その初心(うぶ)な反応が新鮮だった。いや、小松ならではの反応だろう。
 トリコは小松の耳元で目一杯の甘い声で囁いた。
「セックスしてぇ。コレ、小松ん中に入れてぇんだ」
 小松の手を取って股間へと導いたトリコは、顔を真っ赤にしている小松ににやりと笑って見せた。
 ズボンの上からでも判る昂ぶりは、流石の小松にも意図するところを正確に伝えたらしい。
「ボクでいいなら……」
 恥ずかしげに顔を伏せた小松をトリコは怖がらせないように抱きしめた。
「優しくするって約束する」
 体格差からしても、小松とのセックスが一朝一夕にできるものではないと解っていた。
充分に慣らすまでにどれほどの時間がかかるか解からなかったからトリコも急ぐつもりはなかった。今はただ単に小松の覚悟がどこまでか見たかったのもある。
 小松が承諾してくれた事で、それだけ小松に受け入れられている、想われていると知ってトリコは嬉しくなった。



 だが今は違う。
 まさか自分以外にも小松を見初めた人間がいるとは思わず、ダイヤの原石を見つけたような高揚感はどこにもなかった。
 手垢がついていないと思っていた小松がまさかもう他の男を知っていたという現実はトリコにとって受け入れ難いものがあった。
「あの、トリコさん……。これ」
 小松が枕の下から取り出し、トリコに差し出したのはコンドームだった。
 およそ小松とは無縁と思っていたので差し出された時には躊躇ったほどだ。
「男同士だって必要なんですよ?」
 そんな知識があったのかと我が目を疑ったトリコに小松は続ける。
「これだと、トリコさんのサイズにも合うと思うんです。ちょっとゴムが厚めなんですけど許してくださいね」
 つまり感度が落ちると言った小松の、その不似合いな言葉に頭を鈍器で殴られたような気分だった。
「これ、……」
 お前のものか? そんな言葉をトリコは飲み込んだ。
 大きさから明らかに小松が使用するサイズとは思えなかったからだ。そして示唆される事実。
「あの、ゴムつけるのお嫌ですか?」
 おどおどとトリコを伺う様子に頭の中がハレーションを起こす。
「あの、トリコさんはコンドームを使うのはお嫌かもしれないですけど、やっぱりその…」
 余程言い難いのか口籠る小松。
セーフセックスを諭されるとは思いもしなかったトリコは、無言で小松を押し倒すとその小さな唇を奪い強引に口をこじ開けさせた。
 嬲るような口淫で、小松の呼吸を奪う。
「っ、ぷは、トリコさ……?」
「るせぇ」
「ボク、その……、準備とか」
 アナルセックスの準備が出来ていないと言いたいらしい小松にトリコは聞く耳を持たなかった。
何も聞きたくなかった。
 小さなベッドが小松の代わりに悲鳴を上げた。
 トリコは構わずに小松をうつ伏せにすると下着ごとズボンを下げる。
 尻を割り開くと、なんともささやかな抵抗があった。仮に全力の抵抗だろうとトリコには痛くもかゆくもない。
「や、トリコさんっ、優しくしてくれるって」
 突然、乱暴になったトリコに驚いた小松が抗議の声を上げるがトリコはそれを無視した。
 優しくすると言ったのはさっきまでだ。
 トリコという存在だけを受け入れる小松にであって、他の男の影がちらつく小松に手加減は必要ない。
 まさか自分以外にも男がいただなんて……。好きだと言った言葉の軽さが腹立たしい。
 軽蔑しているというのに、トリコ自身は小松へと埋まりたいとばかりに強度を増した。
「トリコさんっ、やっ」
 排泄器官に宛がった雄で小松の身体を強引に割り開く。
 トリコによって身体の自由を奪われ、穿たれた小松は声にならない悲鳴を上げていた。
 だが、熱くうねるようなソコは傷つく事なくトリコを受け入れた。きゅっと締まったアナル。胎内の熱さはトリコの理性を焼切るのに十分な熱さだった。
 打ち付けた腰。小松を慣らす用意などしていなかったというのに、男を受け入れるために溶ける小松の身体に、トリコは熱くなる身体とは別に心は重く、うんざりとさせられた。
「あっ、ン…、トリコさ…あぁ」
 頬を赤く染め、譫言のように声を漏らす小松の様子にトリコ自身は萎える事なく腰を振る。
 まるで怒りをぶつけるかのように。
 何も考えないでトリコはただ小松を犯した。犯すことしか頭になかったのだ。



 ぐったりと青い顔をしている小松。
「…トリコさんって意外と傲慢なんですね」
 優しくしてくれるって言ったのにと小さく洩らした不平。それをトリコは鼻であしらった。
「こっちこそ幻滅した。小松は意外とビッチだな」
 正直な感想だった。すっかり慣れていた身体は男の存在を肯定する。
 驚いたようにこちらを見る小松の唇が震えるだけで何も言わなかったがトリコには解っていた。
「お前、オレに隠し事してんだろ」
 自分よりも以前に男がいた事。アナルセックスに慣れている事。
 いや、厳密には言う必要などない。初めてでないという事に罪はない。
 騙されたと思うのはトリコの勝手なイメージだ。それを小松に押し付ける道理は通らない。
 だがトリコは小松を詰らずにはいられなかった。
「な、なにも隠してなんか…」
 判りやすい奴だとトリコは鼻白んだ。小松の表情は明らかに隠し事をしていますと告げていて、トリコの熱を冷ましていく。
 そういえば、この部屋にココの匂いがするとトリコは今更ながらに気が付いた。
この部屋に入ってきた時に気が付かなかったのは小松という存在に酔っていたのだろう。
『そうか、情夫はココか』
 ココの小松への視線の意味を、友人に対するものだと思っていた自分は愚か者だと、トリコは口の端を歪めた。
 トリコと同じく体躯の良いココならあのコンドームのサイズも頷ける。
「もうどっちでも構わねェよ」
 隠し事をしてようと、小松が大勢の男を手玉に取るビッチだろうと……。
どうでもよくなっていた。
 もう二度と小松とセックスをしないだけだ。
いや、それだけではない。心の整理がつくまで一緒にハントに行くのも無理だ。コンビとしてやっていけるかどうかも疑問も残る。
 小松はトリコにとって唯一の料理人であるから、なるべくなら手放したくはなかったが、今までのように小松の料理を素直に楽しめない気がした。



 眠っている小松を置いてトリコは部屋を後にする。
 鍵をかけて、鍵は玄関ドアの新聞受けから放り込む。もう二度と小松の部屋に来るつもりがない証だった。
 トリコなりのけじめであったが、これが出口の無い迷宮へと足を踏み入れるきっかけになるとは思いもしなかった。


以上、『出口の無い迷宮』の抜粋です。
ラストはハッピーエンドです。



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