石油産出国として小さいながらもアラブ圏の列強国に劣らない程の国力を誇るIGO共和国の第二皇子としてトリコは生を受けた。
妾腹の第二皇子であるがためにある程度の自由でもって育てられたトリコだったが、立派な体格と多少は粗野ではあるが、明るい笑顔で周囲を魅了する人徳のようなものを生まれながらに備えていた。
何一つ手に入らない物はなく、幼い頃から外国へ留学をしたりと見聞を広める機会も自由も多々あった。
ただ一つ、トリコにとって不幸だったのは、兄のココが生来病弱な体質にあった事だ。
皇太子であるココに何かあった場合にはトリコが次の皇太子でもあるために、王族では有りがちなことだったがトリコの婚姻は幼い頃から全てが決められていた。
それは唯一トリコの意思が反映されない事柄だった。
行儀見習いも兼ねて、トリコの将来の花嫁が婚約者として宮殿に入ったのはトリコが十五歳になったばかりの頃だ。
将来の妻が気になるというよりも自分に選択権がなかった事に腹を立てたトリコは、意趣返しとばかりに友人とともに宮殿の奥へと忍び込んだのだ。
かつては後宮と呼ばれた女達が過ごすその宮殿は今でも男子禁制となっている。雪花石膏で出来た水盤を備えたパティオを囲むように女達の部屋が連なっていた。
事前に下働きの者を買収して仕入れた話だと、トリコの未来の正妻は東に位置する部屋を与えられたらしい。
トリコとその友人の愛丸が潜り込んだと知れたら少なくとも叱責は免れないだろう。
王宮入りして十日、漸く落ち着いた頃だろうとの目論見はずばり的中し、黄金で装飾が施されブールタイルの美しい建物の中に該当すると思われる少女がいた。
ピンク色のペンギンのぬいぐるみを抱いた小さな少女はトリコと同い年とは見えなかったし、何よりもその容貌にトリコは言葉を失った。
目は大きいが鼻まで大きい。短い髪は西洋風ではあるけれどこのアラブ圏では好まれないものだ。おまけに痩せた身体は到底十五には見えなかった。
トリコの言葉は失われたままで、少女が宮殿の奥深くに消えてもなおその場を動けはしなかった。
「行こうトリコ……。気が済んだろ」
いつもは軽口を叩く愛丸も口数少なく、彼に促されその場を離れたトリコは依然として動揺を隠せないでいた。
「……あぁ、行くか」
低く、くぐもった声はいつものトリコらしくなく、その怒りを具体的に表すものだった。
トリコの中でも、正妻として据えられるのなら少なくともある程度は見目良い者だろうと期待していただけに、余計に腸が煮えくり返る。
「将来はきっと美人になる」
肩を叩く愛丸。彼に慰められるのは癪に障ったがトリコはあくまでも気にしていないように装って笑う。
「アイ、お前顔が引きつってるぜ」
妻は人格で選び、側室は容姿で選ぶといわれているが流石にあれは酷い。
どちらにしろ家柄で選ばれたであろうトリコの未来の花嫁は見目好いとは間違っても言えなかった。
(アイツの元に通うなんて芸当が出来るだろうか)
未熟なりにもトリコが感じた疑問は歳月を経ても変わることは無かった。
あれから十年。
トリコが外国の大学で学んで帰ってくるまでと猶予されていた婚儀だったが、流石にこれ以上延ばす理由が無くなったとトリコも覚悟を決めての帰国だった。
十八になったばかりの頃から各部族の長老達も今か今かと急かしていた婚儀だったから、そろそろトリコも己の義務を果たすべきだと思ったのもある。
何よりもココの体調が悪化していた事もトリコの背を押した。最近は寝込んでいる日々が多く、公式の場にも顔を出さなくなっているらしい。
「ココの調子はどうなんだ?」
父の側近でもある梅田が綺麗に整えられた指先を頬に添えて困ったように肩をすくめた。
「あまり芳しいとは言いがたいわねぇ。それよりトリコちゃん、もうこれ以上婚儀を延ばすのはダメよん」
「言われなくても解ってんよ」
着々と婚儀の準備が整っていた。
婚儀まで花嫁の顔も見ないのが習わしだったが、トリコは十年前の記憶を思い出しては自嘲した。
見なければ良かったのだ。
そうすれば、側近や長老達の言葉に乗せられて喜んで婚儀に臨めただろう。
血筋の良い、知的で落ち着いた娘だと誰もが口を揃えて褒める。
しかし今となって、誰も花嫁の見た目を褒め称えない事にトリコも気がついていた。
反対に、花嫁の人となりを悪く言う者は誰一人いないのは不幸中の幸いだった。
きっと良い母親になるだろう、仮に国母になるとしても誰も否定しない人格者だと、聞くたびにトリコの心はささくれる思いがした。
そんな望まない婚儀を控えていてもトリコには唯一の希望があった。
この国の慣習では正妻には決められた女を据える代わりに、第一子を宿したと同時に側室を娶る事が出来るのだ。
うまく行けばたった一回で義務は果たせられる。そう思わないとやっていられない。
側室にはどんな美女を揃えようか。気の重い婚儀の準備期間にトリコは唯一の楽しみとして未来を思い描いた。
血筋や知性などどうでも良い。側室は子さえ孕めばよいのだ。
父の一龍だって親子以上も年の離れた側室がいる。彼のように美しい側女を侍らせて、各々に子を産ませれば良いのだとトリコは粛々と婚儀へと臨んだのだった。
以上、『Arabian Night Serenade』より抜粋です。
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