甘い囁きにも似た、





 今日の仕事は残業有り、かつハードワークであるのは解りきった事だった。
 プライベートテラスで料理長自らというのは滅多にないのだけれど、センチュリースープを完成させた頃からは頻繁に予約が入る。
 その半分はボクがコンビを組んで、そして憧れてやまないトリコさんだった。
 超がつく程のカリスマ美食屋で、頭脳明晰で知識も豊富、その実力は有象無象の美食屋などは足元にも及ばない。
 ボクがそんなトリコさんに恋をしているのを知っている人はいないだろう。
 こんな姿のボクだから恋愛だなんておこがましくて、自分自身ですら恋をしている事を認めるまでに時間がかかったぐらいだ。
 レストランぐらい貸し切りしてしまうトリコさんが、プライベートテラスを希望する理由がボクと二人きりになりたいだとしたらどうしようか。
 そんなはずはないと解っているのに高鳴る胸は隠せなかった。ただ単純にトリコさんはあの解放感溢れるテラスの雰囲気が好みなのだとは解っている。
 しかしトリコさんにボクが作った料理を美味しいと言って食べてもらえるのは本当に嬉しい事なのだ。
 それは二人きりの蜜月のようでもあり、浮つく気持ちとともにボクは足を急がせた。
 プライベートテラスは午後からの貸し切りだった。
 ランチの客が落ち着いてからしか時間が取れなかった分、張り切って料理をしよう。
 トリコさんが到着しているのはフロントからすでに連絡を貰って知っていたし、肝心の食材の搬入も昨日の夜に終えている。
 仮にお腹が空いたとしても、少しの待ち時間ぐらいなら事前に搬入した食材を食べて待ってくれているだろう。
むしろトリコさんなら食べ尽くしてしまっている可能性も鑑みるべきか。
 ミニプールとコテージ風の部屋。そしてオープンテラスとオープンキッチン。コテージの中にも大型の厨房機器があるので、どんなに大勢のパーティーでも対応できるだけのキャパはある。
 そんなプライベートテラスだったからパーティーで使われる事があっても、トリコさんのように一人で貸し切りなどは滅多にない。
 太陽が中空よりほんの少し傾きをみせていて、ハントで養った経験が大凡の時間を教えてくれた。
 予定より押していたけれど、その分サービスしようと追加の搬入を携帯で指示した。
 これから深夜まで料理を続ける事になるだろうけれど平気だ。トリコさんに食べてもらえると思うだけで力が湧いてくる。
 ボクの精一杯をトリコさんに……。貴方が愛しいと想い作る料理だけど、気付いてもらえるだろうか……?
 きっとトリコさんは腕を上げたなと笑顔をくれる。それだけで満足だ。
 トリコさんが先にチェックインしているこのプールサイドコテージ。この一泊の値段はホテルグルメのスイートルームよりも高額だ。
 しかしトリコさんにとって金銭などは無価値に近い物なのだろう。使うときは湯水のようにあっという間に消えていくけれど、一つの依頼で何十億と手にするのだから。
 また、専属のシェフとしてボクを指名するのも、実はかなりの値が張るらしい。
 ボクが休みの日にスイーツハウスに呼んでくれれば、料理なんかいくらでもするのにと思えるぐらいの金額だ。
 あまりトリコさんはボクをスイーツハウスに呼んでくれる事はない。コンビになってからもビックリアップルの時ぐらいだったかもしれない。
 トリコさんとコンビを組んだからと言ってさほど親密になった訳でない事を、ボクは嘆きはしなかった。
 なにしろ相手はカリスマ美食屋で、こちらはたかだか六ツ星シェフ。天と地の差がある事は承知しているから。
 プールサイドにあるコテージの扉に鍵はかかっていなかった。
 薄暗くブラインドの下ろされたリビングの窓を開ける。トリコさんはどこだろうか。
 とりあえずキッチンルームを見るが姿はなかった。てっきり何か食べているだろうと思っていたのに。予想外だ。
 感覚を研ぎ澄ませば部屋の奥から人の気配がした。複数人の気配からして、トリコさん以外にもお客様がいるようだった。
 ココさん、サニーさん、ゼブラさんの誰かが一緒だったという情報はない。
「トリコ、さん?」
 主賓室に続く扉を開け、一歩部屋に入って濃密な空気に気がついた。
 完全にブラインドが下ろされて、明かりも小さなルームランプだけの部屋。
 さらに奥にある寝室からはクスクスと媚びるような女性の笑い声が聞こえてくるではないか。
「やっときたか小松ぅ」
 待ちくたびれたから先に始めているぞとトリコさんの言葉にボクは息を飲んだ。
 いつもの雰囲気がない。食材の匂いもない。
 震える足を必死に動かして奥まで進む。
 半開きの扉をボクは恐る恐る開ける。そこは寝室で、大きなベッドが中央にある。そしてトリコさんと二人の女性。
 ヘッドレストのクッションに身体を預けるようにしたトリコさんは左右に女性を侍らせていたのだ。
 それも生まれたままの姿となった三人にボクは思わず顔を背けた。
「どうした小松、お前も混ざれよ」
 興味本位もあって顔を上げるが、数秒と見ていられなかった。再びボクは俯く。
 トリコさんの身体を我先にと貪る豊満なボディの美女。トリコさんの左側にしな垂れかかる女性の胸はトリコさんの大きな手の中にある。女性はうっとりしたように、トリコさんの胸や腹筋に手を這わしていた。
 右側の美女はトリコさんと逆向きに伏臥して、トリコさんの屹立したペニスに丹念に舌を這わしていた。
 トリコさんの手は美女の脚の付け根で小刻みに動いていて何をしているのか瞬時に理解した。
 酒の瓶が転がり、むせ返るような雄と雌の匂い。
「ト、リコさん?」
 美しい全裸の女性を侍らしているトリコさんの姿はまさに衝撃的だった。
 密かにトリコさんに恋をしているボクにしてみれば、一番見たくない現実だった。
「なぁ小松、お前はどっちの女にする?」
 トリコさんの逞しいイチモツに舌を這わしていた女性の顔をボクの方に向ける。ブロンドのロングヘアで胸の大きな美人だ。
 今までトリコさんを口にくわえていたとばかりに半開きの口元がいやらしくて直視など出来なかった。
「今まで成人してねーと思ってたけど同い年だからな。修行も一緒にするなら大人の遊びも一緒に楽しもうぜ」
 なんという持論だろうか。ボクは開いた口が塞がらなかった。
 ふぐクジラのハントの時にすでに酒を飲んだ仲だというのに今まで未成年だと思われていたなんて。
 所詮ボクはトリコさんにとってはその程度の記憶にしか留まらない存在なのだろう。
 酒池肉林という言葉がよく似合うその部屋に一秒足りとて居たくはない。
 楽しむならトリコさんだけで楽しめばいい。ボクまで巻き込まないでもらいたい。
「なぁどれにするよ」
 三人のうちならトリコさんがいいとは言えるはずがない。ボクは俯いて唇を噛みしめる。
 それでも衝撃的な現実にボクの身体は正直だった。心臓は痛いくらいに鼓動を早めているし、興奮からか呼吸も浅い。なによりも下半身に集まっていく熱……。
「はははっ、小松もおっ勃ててんじゃねーか。小松の為に良い女を選んでみたんだぜ?」
 見ろよ、この女の胸たまんねぇだろと、白い胸の頂きに吸い付くトリコさん。
 色香の溢れた女性はどちらかというとトリコさんの好みだろう。スナックつららのママやラブ所長のような悩ましげな色香に弱いのは知っている。
「……ボクを呼んだのは料理をするため、ですよね」
 そのためにトリコさんからもメイン食材を搬入してもらっているし、それに合う食材も大量に仕入れたのだ。
「つまんねーの」
 ボクの拒絶に途端に不機嫌になるトリコさんだったが、ボクだって承諾しかねる場面だった。
 トリコさんのいう遊びなんかに付き合うつもりも、理由もない。
「なぁお前らどっちか小松の相手しろよ。天国見せてやってやれって」
「えー。ヤダー」「あぁん。トリコがいいの〜」
 そう口々に不平を口にする女性達。ボクは見下げた目で見ているのをトリコさんは知らないだろう。
ある意味正直で怒りすら湧いてこない。仕事とはいえカリスマ美食屋のトリコさんと関係出来るなんてある意味ステイタスだ。
 それにトリコさんは見た目こそ荒削りだけれどもとても雄を感じるだろうし、何より立派なモノを持っていた。
 直視は出来なかったけれど脳裏にはまだトリコさんの屹立が残っている。太いペニスに張り出した亀頭。先走りと唾液で妖しく光っていた。
 思い出してはダメだ。そう自分自身に言い聞かす。
「すぐに美味しい料理をたっくさん用意しますからトリコさん達はごゆっくり!」
 ボクは部屋を飛び出して、その扉を閉じた。
 料理に集中しなければ。あんなことぐらいで動揺するなんて未熟な証拠だ。
 どんな時にでも調理に集中するため、辛い修行にだって耐えたのだ。これぐらいで集中力を欠いてはならない。
 意識して料理に集中しようとしたけれど、まだ胸はドキドキしていたし、自分の下半身が反応してしまっているのも恥ずかしくて涙が出そうだった。
 おまけに寝室からは時折、男女の睦合う声が聞こえてくるものだから料理に集中するのは困難を極めた。
 実のところ、どうやって料理したのかも記憶が不明瞭だった。
 上の空に近かったけれど、それでも味はそれなりに出来上がっていた。
 ダイニングに大量の料理を並び終える頃にトリコさんが姿を現す。シャワーを浴びた後らしく髪が濡れていた。腰に巻いたタオルが濡れていて、トリコさんの股間の盛り上がりが目に入ってしまう。
 約二時間。どうやらお楽しみの時間は終わったらしい。
 女性達用にも料理をと思ったがトリコさんが要らないと手を振った。
「女、気に入らなかったか?」
 どうやら彼女達がボクのタイプじゃないと思ったらしい。全然着眼点が違うのがむしろトリコさんらしい。
「そんなんじゃないです。ボクは仕事中ですし、それに女性の方もボクよりトリコさんがいいに決まっています」
 目の前にトリコさんがいるというのに、どうしてボクなんかを選べるだろう。悔しいけれど女性達の気持ちはとても理解できた。
 しかしボクの反論にトリコさんはにやにやと笑うではないか。
「もしかしてさぁ、小松って女嫌い?」
 あんな良い女、目の前に据え膳って男じゃねーよ。そうトリコさんが言うと暫し考えるように口を閉ざす。
「なぁ。さっきおっ勃ててたのってオレにか? 小松が女に興味ねぇならオレを見て勃てたって事だろ? ははは、冗談キツイぜ」
 面白い事に気がついたとばかりにリアクションするトリコさんに居たたまれなくなってくる。どうしてそんなにデリカシーってものが欠如しているのか。
 それを言われた者がどんな気持ちになるか想像できないらしい。
 確かにトリコさんの言う通りだったがそれを認められるほどボクは図々しくはなかった。
 緊張でごくりと喉がなる。
「や、やだなー。トリコさんこそ冗談キツイですよ。そんな性癖ありませんって! ホント怒りますよー」
 うまく笑えているだろうか。
 笑って誤魔化して、トリコさんへの気持ちも笑い飛ばせてしまえたら良いのに。
 ボクは配膳の最後の詰めをしながらトリコさんに座るように促した。
「そうかそうかワリィなー。へんな事言って。なぁ、小松はどんなのがタイプだ? やっぱ二代目メルクか?」
 全く悪いと思っていない証拠にトリコさんはもう食べ物に夢中だ。その口に中にはローストロビーフの固まりが消えていく。
「あっ、いや。ははは、バレてました?」
 確かにメルクさんはとてもかわいらしい。仕事熱心だし、とても好ましいとは思うけれどそれだけだ。
 しかし恋をしていないかと言われれば否定するしかない。ボクはトリコさんが好きなのだ。
「ふーん。いい趣味してんじゃんかよ」
 なにやら考えているようだったが、その思慮する姿にすら目を奪われていた。
なにをしていても様になる人だと改めて頬が染まるのをボクは背を向けて隠したのだった。
 それから暫くしてだった。
 トリコさんが二代目メルクさんと付き合っていると噂が流れたのは。
 諦めてはいたけれどボクの恋心は傷だらけだった。




以上、『甘い囁きにも似た、』より抜粋です。


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