築四百年は経過するという古い屋敷の門をくぐれば、人間に扮した妖怪達がボクを出迎える。
口々におつとめお疲れでしたと労う言葉を並べる妖怪達。いつもの光景だ。
ボクもただいまと返し、鞄を受け取ろうとする妖怪を制して部屋へと戻る。
ちなみに鞄など預けた日にはどこにいってしまうか解らないので日々注意している。
神隠しなど珍しくはないが、学校に関係するものだけは勘弁してもらいたいとの自己防衛だ。
人間の姿に化けても不自然な大きさの者は玄関から奥で出迎えてくれるのだが今日は意外と疎らだったので、おじいちゃんと出かけているか来客からの菓子でも漁っているか昼間から博打に興じているかのいずれかだろうと推測しつつ奥へと進む。
「誰か来てるの?」
菓子を包んでいたであろう包装紙の残骸からして、誰か来ているのだろう。多くの貸元を従える奴良組本家では珍しくない光景だ。
よく顔を出すのは牛鬼や、おじいちゃんの幼なじみである関東大猿会の会長の狒々だ。月例の幹部会以外でもよく顔を出している。
「いえ、だ・誰も来ています。じゃない、誰も来ていません!」
「そう、来ているんだね」
墓穴を掘った小妖怪に確信めいた口調で詰め寄れば可哀想に小妖怪もこくこくと頷く。
決して祢々切丸を片手に脅したわけではないし、その表情に黒い笑みを浮かべていた訳でもない。
「若ですら奥に近づかせないようにと総大将から念を押されてまして……」
ははぁ。だからこの高級菓子かと納得してしまう。好奇心旺盛な、いわゆる自由な妖怪達が立ち聞きしないよう餌を撒いたらしい。
奥というからにはおじいちゃんの元に来たのだろうが、近づくなというのが不審でならない。
「誰?」
また何か悪巧みでもしているのだろうが、ボクの事で水面下で勝手に物事が運ぶのは気分が悪い。
この間は若頭に許嫁の一人でもと、もう少しで結納までいくところだったし、学校など必要ないと退学届が出されかけていた。
包装紙を見ると隣の県にある高級和菓子店のもので、だいたいの想像はつく。
某、薬師一派の組長以外にありえない。
「鴆くん来てるんだ」
最近はよく顔を見るが、それまでは滅多に幹部会にも顔を出さないほどだった病弱な鴆くんは、ボクにとっては年も近く良い理解者だ。
いつもリクオなら良い三代目になれると励ましてくれて、味方になってくれる。
その彼がどうしておじいちゃんにだけ会いにきたのか。
「何か薬の調合でも頼まれたとか?」
嫌な想像はいくらでも出来る。
たとえば学校に行きたくなくなる薬とか、ずっと妖怪の姿になってしまう薬とか……。
「そんなバカな」
荒唐無稽すぎる薬効を思いついた自分を笑う。そんな薬があるならむしろ見てみたい。
でも不安は拭えなくてボクは台所から出てきた毛倡妓に話しかける。
「毛倡妓、ボクがお茶のお代わり持っていくよ」
「ええっ、それは」
申し訳ないですと遠慮する彼女の手から盆を奪う。
「いいの、いいの気にしない」
まだ鴆くんは来たばかりだったらしく、たまたまボクが早く帰ってきたから良かったものの、いつもどおりならこの密談を知らないままだった事になる。
「もう、おじいちゃんたらっ」
どんな理由で鴆くんを呼びつけたか知らないけれどまた倒れたならただじゃおかないんだからと足音も荒く近づいて、これでは足音で気づかれるとそっと忍ばせた。
部屋からはおじいちゃんの声が廊下にまで聞こえてくる。
「で、なんじゃ。ずっとだんまりとはお主らしくないのう」
おじいちゃんの多少苛ついた声音を感じ取りつつそっと隙間から様子を伺えば二人が向かい合って座っていた。
キセルの煙が立ち上り、夕暮れ間近の庭からは涼しい風が入ってくる。
なのに冷や汗をかく鴆くんは重く閉じた口を開けようとはしない。
しかし意を決したように座り直した鴆くんが深々と頭を下げ、廊下にまで聞こえる声で叫んだのだ。
「リクオと……、口吸いがしたいっ、させてくれっ」
ぐぉぼーっ!!
自分で言って卒倒している鴆くんだったがこっちも思わず吐血しそうになった。なんとか体勢を立て直しマジマジと二人を見る。
吐血した割には元気そうに見える鴆くんだけど、ボクと口吸いがしたいだなんて。どこか、例えば頭とかを悪くしたのだろうか。
口吸いとはつまりキスの事だとボクも知っている。それをボクとしたいだなんて、もしかしたら鴆くんってばおかしくなったのかもしれない。
おじいちゃんを見れば難しい顔をして腕を組んでいる。当たり前だ。どこの世界に跡取り息子、じゃない跡取り孫の唇を安売りする祖父がいるだろうか。
「ふむ。勝手にするがいい。そろそろリクオも成人、まぁ確かにいつ目覚めてもおかしくあるまいが」
安売りする祖父がここにいたっ!!
それよりも目覚めるってなんなの? 何が? おじいちゃんの言葉からはくみ取れずボクはさらに息を潜める。
「ぬらりひょんの血は子をなせぬ血。人との血で繋いだとはいえ……因果よのう」
おじいちゃんがリクオも不憫じゃて……。などとしみじみと漏らす。
その一連の言葉がキスと関係あると推測するならば、それはもしかしてぬらりひょんの血は同性愛者って事なのかもしれない。
まさかボクが同性愛者に目覚めるってことなの?
嫌な汗が背中を伝うが、おばあゃんが死んでからも後添えをもらわなかったおじいちゃんや、何百年と独り身だったお父さんの事を考えるとそういう事なのだろう。
「そなたもリクオの幼なじみならチャレンジしてみるとよい」
そんな幼なじみいりませんっっ!
思わず部屋に乗り込みそうになるのを抑えて音を立てずにそっとその場から離れる。
確かにあんな話なら人払いをするはずだ。
良かったよ。話が聞けて。
ボクは鴆くんに唇を奪われる前に対策を練ることが出来る。
鴆くんがボクにキスしたいっていうことは、つまり、その気があるって事で。全く気付かせないあたり鴆くんも狡猾だ。
いつからなんだろう?
小さい頃は一緒に山とか行ったりしたけど二人きりってのはかなり危なかったとか?
時々夜の姿になって夜中に酒を酌み交わしたりしてるけど酒に何か入れられて事に及ばれる可能性もあったのかもしれない。
身体が弱いとか言いつつ出入りにもついてくるし、もしかしてストーカーだったんじゃないだろうか。
色々考えると気持ち悪くなってきてボクは鴆くんとなるべく距離を置こうと心に決めた。
出さなかったお茶をもう一度毛倡妓に頼みボクは部屋へと戻る。
花開院さんに頼んで結界用のお札でも貰ってこようか。
こうして波乱の一日目は幕を閉じたのだった。
以下本誌へと続く。
「なんだよ、キスしたいって言ったのは鴆くんが先なのに」
それが嘘だったなんて・・・
と、こんなカンジでコメディー→シリアスに。
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