人間の時代は終わりを告げ、今や魑魅魍魎が跋扈する世界となった。
大妖怪時代とも呼ばれるこの時代の元凶は大妖怪ぬらりひょんが死去した事にある。
奴良組を率い妖怪の主となった男が死んでから、統制の取れなくなった妖怪達が争い、派閥争いを繰り返すようになるまで時間はかからなかった。
奴良組の幹部でも弱体化した組は尽く乗っ取られてシマを無くした組も多い。
薬師一派の組長である鴆が、医者として率先して争い事に加わる事を拒否し中立であることを早々に公言したため、シマは平和そのものであった。
しかしそれは不戦を意味するものではなく、降り懸かる火の粉には組長として十二分に闘い、二度と薬師一派には手を出さずにおこうと思わせるだけの徹底した闘いであったという。
人は自分達以上の力の存在を知り、ひれ伏し許された範囲内での生活を送るようになり、秩序と言うものは限られたものとなっていた。かつての法治国家は辛うじてその形骸を留めるのみであった。
もう人間の時代は終わったのだ。
「どうだった本家は」
春から新たに雇い入れた番頭は蝦蟇蛙の妖怪で脂汗を拭きつつ報告をする。
よく気が付く抜目ない妖怪だ。分家筋の推薦で雇ったのだが忠義にあつく顔に似合わずよく働く。
「もぬけの殻でしたよ、いやぁ案外奴良組も弱かったんですなぁ」
総大将が死んでからあれよあれよという間に奴良組は崩壊した。
武闘派である牛鬼組が援軍を出さなかったという噂だ。
「そうか」
きっとリクオも死んでしまったかと5年前に顔を見た限りの義兄弟の姿を鴆は思い出そうとした。
奴良組の三代目になるべく生まれた少年は明るく元気で悪戯好きの手の焼ける子供だった。
そろそろ13となっていたはずだから、大妖怪の血を引く義兄弟はさぞや立派な姿に成長していただに違いない。
「これからは良くも悪くも妖怪の時代ってこった」
闇に潜むのを是としない妖怪は人を襲い、人もまた対抗する力を持とうとするだろう。
争いは争いを呼ぶ。絶対的な力で支配するまで終る事のないものだ。
「大恩ある総大将が死んでしまったなら薬師一派は孤高を守るだけよ」
どちらにも、誰にもつかず。医を極め、日々の研鑽に努めるのだ。
争いは何も生み出しはしない、何も解決などしないのだから。
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漸く白々と明けはじめた空を確認しつつ鴆は控えの者を呼ぶ。
「おーい、誰かいねぇのかい?」
水差しの水が温くなっているため新しいものをと考えたのだが側控えすらいないとは珍しいと鴆は起き上がる。
組の者がこんな早朝まで総出で出掛けているとは考え難いが、今朝はどうした事だろうか。
だが水場の気配に鴆は思い過ごしだったかと声をかけた。
「悪ィが水を貰えねぇか」
「ぜ、鴆、さ…ま」
怯えたかのように身を縮こまらせたのは、驚いた事に人間の少年であった。眼鏡をかけた気弱そうな少年が焼べようとしていた薪を落とす。
釜戸に火を入れようとしていたらしいところからすると、新しく雇い入れたのだろう。
人間が妖怪の下で働くのも最近では珍しくなくなった証拠だ。
傍目からでもその動揺が見て取れ、この小さな下働きの少年を怖がらせしまったかと鴆は口調を改めた。
「朝早くから大変だな。すまねぇが水を貰えねぇか」
毒に気をつけろと言われたか、少年の手が微かに震えているようにも見えた。小さな顔に不格好な眼鏡で顔立ちは解らないがどこかで見た気もする。
既視感があるのも少年が屋敷で働いているのだから当たり前であろうが、あの蛙の番頭の事だから妖怪より使いやすいとみたのだろう。
妖怪は基本的に自由な性質なので盃を交わしても長続きしない事が多い。
その点、働き口のない人間は妖怪屋敷でも奉公に上がるのだろう。妖怪には人間のルールなど関係がないから働く意志さえあればこんな子供でも雇い入れるのだ。
あかぎれの手。薄い着物で水場に立つ少年の顔色は良いとは言えなかった。
気弱げなこの少年が自ら進んで妖怪屋敷で働きたがったとは思わないが、つまり働き口がここしかないということだ。
「朝、早ェんだな」
「…仕事ですから」
「そうか。で、名前はなんていうんだ」
「…リクオ、です」
「そうかい。水、ありがとよ」
自分の義兄弟と同じ名前かと鴆はまじまじと少年を見る。
だが鴆の知るリクオはこんな気弱げな少年ではなかったし、最後に見てから5年は過ぎている。ましてや成人間近なのだから、こんな子供ではないだろう。
顔を伏せている姿から、薬師一派の組長に萎縮しているように見えた。
あまり怖がらせるのも気が引けたので鴆は水差しを受け取ると自室に戻る。
標準より小柄なのか、妖怪と人間では見た目と実年齢に差があるため人間の年齢など解らないが妖怪ならせいぜい10歳前後、人間ならもう少し年嵩かもしれない。
「不憫なこった」
大妖怪ぬらりひょんが死んで妖怪同士の争いもおこり、さらには人間の領域を侵略し続けている。
あの少年が妖怪に使われるのも、大妖怪の死が原因なのだ。
明るい髪色に似合わない暗い表情。笑えばきっと愛らしいに違いないのに。
「苦労してんだろうな」
あのあかぎれの手が何よりの証拠だろう。こんな朝早くからとなると住み込みに違いないが、蛙の奴に聞けば解るかと鴆は何故か少年が気になって仕方ない自分を自嘲した。
おそらく人間が物珍しいからに違いないと思いつつ少年の顔が忘れられなかったのである。
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奴良組が解体され薬師一派に身を寄せたリクオ。しかし5年振りに会った鴆はリクオを覚えてはいなかった。
むしろリクオも正体を話すつもりはなかったので都合が良かった面もある。
人間というだけで薬師一派の組員から辛く当たられるリクオ。
しかし鴆の部屋付きとなってからは鴆の優しさに触れ、次第に心を通わせていく。淡い恋をしている二人だったが平穏は長く続かなかった。
「これは?」
リクオの首筋に目ざとく鴆が見付けた赤い跡。
「違うよっ鴆くん、これは…」
隠そうとするリクオを鴆は不信に思う。
「やっ、」
逃げようとするリクオを捕まえ、その着物を剥ぎ取れば全身に濃く残る情事の跡。
「相手の男は誰だっ?」
鴆の覇気にリクオは後退る。
「オレがテメェを可愛がってやっているのをいい事に、うちの組員をたぶらかしやがったな?」
「違うっ! 違うよ、鴆くん!」
「人間ふぜいがっ!」
ふるふると首を横に振る姿は庇護欲を誘う。しかしこんな無邪気な顔で男をくわえ込んだリクオに怒りしか湧かなった。
それは自分がいつかリクオを優しく慈しんでやろうと考えていたからに他ならない。何も知らない身体に自分だけを刻みたいとのささやかな願望を打ち砕かれたのだ。
リクオの身体には強姦された形跡はない。合意の元かもしくは望んで男と交わったに違いなかった。
そんな鴆の怒りにリクオは固く目を瞑る。
「違うんだ、鴆くん」
言える訳がなかった。
夜の姿になった自分と鴆のせいだなんて言えやしない。
自分は人間のリクオで、妖怪のリクオとは別人なのだから。
「出ていきやがれ! 朝までに荷物まとめて出ていかねぇと縊り殺してやる!」
「鴆くん…!」
誤解を解く訳にはいかない。
姿は違えど間違いなく自分達が身体を重ねただとは口が裂けても言えないのだ。
「解ったよ。ありがとう、いままで。番頭さんにもありがとうって」
鴆に脱がされた着物の前を掻き合わせて立ち上がるとリクオは振り向く事なく鴆の部屋を出る。
もう会う事はないのだと思えば自然と涙が落ちそうだった。
好きだと言った言葉がこんなにも早く壊れてしまうなんて。やはり浮世の運命とは所詮こんなものなのだ。
部屋へと戻ったリクオは数少ない荷物を纏めようとしたが、これから自分が行こうとしている場所には不用なものだと手を止めた。
何一つ必要は無い。唯一欲した心は手に入れられなかった。それが現実。
それよりも一刻も早くここから出ていくのだ。それが唯一鴆の怒りを和らげる手段に違いないのだからとリクオは重い腰を上げた。
もう二度と会えなくとも鴆にとって何も痛くはない。下働きの人間が消えるだけのこと。
妖怪のリクオも消えてしまったことを鴆は訝しく思ってくれるだろうか。人間のリクオと交わした言葉を懐かしく思ってくれるだろうか。
後ろ手で襖を閉めながら、心が痛むのも今夜が最後だとリクオは裏木戸へと向う。裸足の足が痛かったが心の痛みはそれ以上にリクオを苦しめた。
もうすぐこんな痛みも感じなくなるというのなら、今すぐ消えてしまえば良いのにと願いながら。
その日を境にリクオの姿を見た者はいなかったという……。
続く
大海賊時代があるんだもの、大妖怪時代があったっていいじゃないってネタからです。
きっちりとオフで出したいところなんですがいかんせん体力と気力と時間に余裕もなく、荒筋を考えたうえで書きたいところだけしか書いてませんが、鴆×夜若・昼若な感じです。昼若は泣かせたいです(本音出た)
そしてさらにこんな感じですすんでいきます。
「リクオが身一つで出て行っただと?」
まさか本当に出て行くとは・・・。
大切にしていたはずの学校とやらの制服も残っている。着替え一つ持たないでどこに行くというのか。
「まさか、あいつ・・・」
鴆は取り返しのつかない事をしてしまったと愕然とするしかなかった。
今頃リクオはどこかでその温かかった身体を冷たくしているのかもしれない。いや、あれだけ情熱的に愛された跡が残っていたではないか。件の男のところへ行ったに違いない。
そう思わなければ鴆は己の所業を悔いても悔いきれなくなる。
「リクオ・・・」
とまぁこんな展開です。
自分が読みたいorz
↑ネタ的に書き散らかしたんですが、結局自分が読みたくなって書いたという・・・。自給自足ってやつです。
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