君ヲ慕ウ 7
やがて季節は春を過ぎ長い夏を耐えた後、加速度的に進み、ほんの一週間前とでは朝夕の冷え込みに雲泥の差を見せるようになっていた。 時生自身、真夏を過ごした黒牡山を下りてきてすっかり変わってしまった季節に驚いたぐらいである。 特にK都では盆地特有の冷えがあるので老いた身には堪えたのだろう。 この初夏にヨーマをみちるへと継承させた先代の倉持たまきの具合が芳しくないと連絡があり、急遽守護家が招集された。 「喪服用意してきたけど、どうよ?」 雑談の中、 「勝手に殺すな」 と、たまきが現れ、みちるも一歩後ろをついてきていた。 「私は占星術の才能が無くて」 申し訳なさそうなみちるの言葉の意味するところを汲んでたまきが続ける。 「みな元を辿れば同じ血、誰かは才能を秘めておるじゃろ」 徹底的に基礎から叩き込むと豪語するたまきに、皆一様に戸惑いを隠せない。 「つまりお勉強会かよ」 そういう事かと一燈の言葉に、まぁ学んで損はないだろうと結論が出るのだった。 たまきの占星術は多岐に渡る。そもそも統計学でもあるというように、占星術とひとくくりにしているが実は四柱推命や方位学などを組み合わせた独自のものである。守護家当主の命式を見て4人の比較をする事で驚異の命中率を叩き出しているのだ。 「先代の時次の命式でも、時人の命式にも出ておったからの」 天魔波旬復活をそう言葉にする。未然に防げなかったものの、継承式を志村だけで行う事で被害は最小限に食い止めたと苦い顔で言う。 今回の召集の目的は、数日やそこらで身に付くものではないが、今後ヨーマの出現を偶然待つというのもリスクが高いという理由で知識の継承を図るものだったのだ。 しかし不完全である方がリスクがあると叛阿弥は欠席し、科学的根拠が立証されたなら是非参加したいと謙虚を装おった嫌味を置いていった。 それでも倉持、志村、細美の三家とはいえ、護衛や付き人なども含めると両手に余る人数となっていた。 一燈に会うのは月に一、二度で、傷ついたカトブレパスを起こす修行から帰ってからはまだ一度も会ってはいない。 ぎこちなく視線が合う。 「痩せたか?」 「引き締まったって言ってください」 軽口で返すと安堵の表情を見せた。 変わらない彼に、忘れたくても忘れられないと時生は実感する。 一燈の視線の一つ一つに思い出してしまう。 これだけ会わなければ大丈夫かと思っていたが、心も身体も忘れられないでいるようだ。 ふと感じた視線に目をやると光樹が睨んでいて時生は目を伏せる。 「時生……」 一燈が躊躇いがちに名を口にするが、 「若っ、そろそろ食事っすよ」 そう言って遮るような光樹に何も続けられずに黙りこむ。 「あ、あぁそうか」 何か言いかけたのだろうか? 時生に対し伸ばしかけた手が引っ込められたのは気のせいかもしれない。 一人残された時生は窓の外へと視線を移す。 倉持の事業は青龍会グループとしていくつも会社を持ち、また福利厚生も充実していて、集まったこの場所も本来は社員のためのものだ。 今頃大広間では食事が用意されているだろう。 否が応でも顔を会わすのだから少し時間をずらそうと時生は反対方向へと歩きだす。食事の前に汗を流そうと考えたのだ。 大浴場が温泉という贅沢さも倉持も資本力だろうが、露天風呂までがあるとは流石というべきか。 すべてはたまきの占星術でより良き選択をした結果であるため、こうして結果を目の当たりにすると、その実力には脱帽するばかりだった。 露天風呂から見る景色は今まさに紅葉の盛りで赤く色づいた景色は時生を和ませる。 ゆったりと湯に身を任せていると人が入ってくる気配がして時生は視線を向けた。 「一燈さん……」 まさか一緒になるなんて……。 「夜はばばぁの勉強会は無しだ。酒飲んだらお勉強どころか風呂入るのすら面倒だかんな」 おそらく一人だけ不参加を決め込むつもりなのだろう。豪勢な食事を堪能し、日頃の疲れを癒してまた明日から集中した方が効率的だと持論を述べる。 一瞬、無言の時間が訪れ、闇に侵食されつつある空を眺めていると一燈が時生を見つめていた。 「こっちこいよ、時生」 真剣な表情で時生を見る一燈に時生は息を飲む。 伸びてくる手。 まさか、こんな所で? 誰が来るかもしれない状況でキスするのですら憚られるというのに。 「嫌です! こんなとこでそんな」 慌てて振り払おうとした一燈の手にあるのは紅葉の葉。そして可笑しそうに笑う一燈。 早とちりだったと途端に恥ずかしさが込み上げる。期待しているのだと見透かされているようで居たたまれない。 「やーらしーナニ考えてんだ」 頭に乗った葉を取っただけなのに、何を考えていたのかと意地悪く問う一燈に言い訳など無かった。 「あの、先に出てますっ」 恥ずかしくて時生は思わず逃げ出していた。 慌てて着替えを済ませて部屋へ逃げ帰ろうと急いでいると廊下の角から現れた人物に行き先を阻まれる。 可愛らしい面立ちに浮かぶ表情は嫉妬だ。 「へー結構早かったんだー、若に可愛がってもらった?」 「なっ」 何を言うのかと口にしようとした時生を光樹は遮る。 「ひどいと思いません? 目の前で浮気なんて。若が夢中になるほど具合イイんだ?」 誤解している。何も無かったと言う前に時生の自由は奪われていた。 「同じ手にかかるなんてマヌケというか。もしかして期待してた?」 光樹のいうとおり注意力が散漫だったかもしれない。術符が貼られ身体が動かないばかりか、目前にあるのは闇の色だ。 「時生さん良い匂いっすね。なんていうか、征服したくなる。そのすまし顔を崩して……。ねぇ、俺の下でも若の時みたいに鳴いてよ。今度は若も来ないから」 近くにあったリネン室へと押し込まれ棚から適当に落としたシーツの上に転がされる。 身体中に仕掛けられる悪戯に敏感すぎる時生は光樹の笑いを誘う。 「やらしいね、時生さんは。こんなにさせて、さ? 俺に頭下げてお願いしなよ。イかせてくださいって」 浴衣の上から触れられているだけだというのに、時生自身はあられもなく存在を誇示していて、光樹はそれを見て嘲笑う。 屈服したくはなかったが、男として我慢の限界もある。浴衣の裾が割られ光樹の手が素足を撫でる。 「っあ…」 「いい声っすね」 反応を見せた時生に光樹は意地悪く笑う。 だがもうひとり時生の声に反応する者がいたのだ。 「時生様?」 それは主を探すハクタクの声だった。 「声出せるの失敗かな」 残念そうに光樹は時生を解放する。 あのハクタクの事だからすでに居所を把握されているに違いなく、このまま隠れるのは不可能だと判断したらしい。 ハクタクが部屋の扉を開けるより早く光樹は逃げ出す。 ハクタクにより助け出された時生は、光樹の悪意に何一つなすすべが無いままであった。 光樹の感情が時生を戸惑わせる。これ程の事をされるほど憎まれているなんて。そして逆の立場だったら同じ事をしたかもしれないと恐ろしく感じるのであった。 「そろそろ自重なされませ。式神なら用意いたしますがゆえ」 時生様に忠実で絶対に裏切らず、常に付き従う式神を。 だから一燈を諦めるように言いたいらしいハクタクの言葉に時生は無言だった。 「涙をお拭きくだされませ。部屋で食事をいただけるよう手配しますゆえ」 支えるように脇を歩きながらハクタクは人間の感情について思いを馳せる。 愛などという感情はヨーマにはない。契約による拘束のみなので、気丈に涙を隠す主の心境は解らない。 だけども愛を知らず、また肉親によって奪われて育った時生は無防備でハクタクを不安にさせる。 初代の言葉どおりに志村に仕え、もう21代。感情などないはずの自分が主の時生には幸せになってもらいたいと思う事に、ハクタクはこちらの世界に影響を受けていると感じていた。 時生の身体が震えていて、ハクタクは望まない方向へ事が運ばないように、より一層の注意すべきと心に留め置くのだった。 これを携帯で書くのは長かったorz まだまだ続きます |