別離の儀式 3
部屋が別となり、送迎の車が一台増やされる。常陸院家にはなんの負担にもならない事柄。 僕が馨と交わされるのは最小限の会話だけ。 愛し合っている恋人同士の痴話喧嘩だと己れに言聞かせても。きっと馨の気紛れだろうと放置するのも一週間が限度だった。 帰宅しても、意識して合わせないと食事の時間すら合わなくて、いつもなら料理の批評をしたり一日の出来事や明日の事など会話が途切れるなんてなかったのに今は違う。 ほぼ無言での食事を終え、家族団欒など知らぬというように自室へと消える馨。 捕まえて詰問したくても馨は部屋から出てこなくて、自然と学院内で話を付けるしか手段は残されていなかった。 かつてのホスト部部室へと無理に手を引いて、ようやく馨と対峙する。 「いつまで、こんなの続ける気だよ」 早く元に戻ろう、何か腹を立てている事があるなら謝ると言い添えるが馨の表情は固いままだった。 それどころか、嘲るように口元を歪める。 「見てよ、この成長した身体。美意識に反するよねー。そろそろ気の迷いじゃ済まされないと思わない?」 少年ではない大人の男として完成しつつある身体に嫌悪感でもあるのだろう。苦痛に満ちた馨の表情。 「……気の迷い?」 自分達の関係が気の迷いだったと言う馨に、次の言葉が出てこない。 「人間ってさ、所詮自分が一番かわいいの。大事なの。そんな視野を広げる事によって成長するんだよね。僕達だって互いを愛したつもりでいても、所詮自分を愛しているのと大差ないんだよ。性欲と好奇心というフィルターがかかってるだけ」 それだけを一気に言葉にしたかと思うと、次はゆっくりと深呼吸してから続ける。 「殿も卒業してホスト部も解散したんだし、良い機会だと思わない? これからはわざと一緒にいなくても営業に差し障りないから助かるね」 そんな馨の言葉が信じられなくて僕は必死になっていた。 「わざと、だって? それならどうして? どうして、僕の気持ちを受け入れるような残酷な事をしたんだよ!」 どうせなら、あの時にもっともっと拒否してくれれば良かったのだ。 男が男を受け入れるという覚悟はそれだけの愛があるからだと思っていたのは僕だけだったのか? おそらく僕はとても情けない表情をしていたのだろう。馨は呆れたように言葉を紡いでいく。 「性欲処理って言ったじゃん。ホストで彼女がいるなんて指名率下がる事、許されないでしょ? でもこれからは特定の彼女作っても大丈夫だし。光はハルヒに告白するチャンスだよね?」 ライバルもいないし、案外ハルヒも万更でもないと思うよ。そう続ける馨を、僕は思わず怒鳴り付けていた。 「バカ言うなよ! 俺の気持ちは無視かよ?」 視線を合わせようとせず、馨は窓の外を見続けている。 こうして、僕との関係を断ち切って、馨は新しい世界を望む。 しかし、本当は何も望んでいないのだ。馨は受け入れたフリをして拒んでいる。 僕との終わりを演出しているのは自分が望まないエンドを恐れているから。 なぁ、馨。お前の方が繊細で傷つきやすいんだよな。色々と考えても冒険はしない。いつだって無難な方を選択する。それが例え望まない結果を招くとしても。 お前はいつになったら本当の一歩を踏み出す? その心の氷を溶かしたと思っていたのに、まだ凍ったままだったのか? 馨の望む終わりは? 僕との事は? 「三年となればハルヒだって勉強に集中したいだろうし、ホスト部解散して良かったよね」 「聞いた事に答えろ。僕の気持ちはどうなる? 馨を愛している僕がこんな終わりを望んでいると思ってんのか?」 「……いつか気付くよ。最適な判断だって」 悲しそうに。 今にも泣きだしそうに。 あぁ、僕はこの愛する弟を手放すなんて出来やしないのに。 どうしてお前は……。 「今が最適でないと意味が無い! 馨が僕を必要としないなら僕だって自分を必要としない!」 僕はかつての部室を飛び出す。そして全力で駆ける廊下。 そのただならぬ雰囲気に馨も慌ててついてくる。 「光?」 「ついてくるな!」 「そっちは屋上でしょ!」 さすが双子。考えている事なんてお見通しなのだろう。そうでなくては意味が無い。 「どこへ行こうと僕の勝手、ついてくんなよ」 「自分を必要としないってどういう事? ちょっと光!」 屋上への扉を開けて、僕は馨へと振り返る。 「本当に大丈夫。今までありがとな。愛したのはお前だけだよ馨」 お前しか愛したくないっていう僕の気持ち。 馨と別れるだなんて考えられない。そんな切なる想い。ちゃんと伝わってる? 「そんなっ、光は幸せにならなくちゃいけないのにっ!」 悲壮な表情の馨は自分の選択した結果に驚いているのだろう。僕があっさりと引き下がるとでも思っていたのかもしれない。 「解ってるじゃん。でも僕が幸せになれるのは馨が恋人として側にいて初めて成し得る事だから」 だから、別れたりすれば僕はずっと幸せになんかなれない。 「……バカ、考えなし。絶対後悔するのに」 俯いて涙を堪えているだろう馨。 僕には馨が折れる事なんて、始めから解っていた。 誰よりも僕を想う馨がどんな行動に出るかなんて、とても簡単な事だったから。 「今は、後悔なんてしないよ。後で悔やむなんて未来の事なんて考えられない。刹那主義のどこが悪い?」 僕にとっては『今』が一番大切。 未来はそんな今の積み重ねだって馨は気付いているだろうか? 「お前の一生を僕にくれ。どんな手を使ってでもお前を離さないから」 駆け寄って馨を抱き締めて僕は笑みを浮かべる。 馨、知ってる? お前よりも僕の方が一枚上手だって事。 多分知らないんだろうな。 僕は馨を手に入れるためならなんだってするんだから。 禁忌なんて僕のルールにはないんだから。 いつまでも、わがままなお兄ちゃんを演じて……。 これからはお前の心が離れていかないように細心の注意を払おう。 そしてこれからも別離の儀式は執り行われない。 もしも、二人に別れという終わりが訪れるとしたら、それはきっと命という翼を折り畳む時に違いないのだから……。 短いのに長らくお待たせしました。 光の待遇を良くしようと思い書き始めたものでしたが、いかがでしたでしょうか。情けないぐらいのヘタレな攻めで馨に振り回されっぱなしな光から少し脱却? カッコイイ光っていうのはちょっと高いハードルのようですorz |