「はぁ?」
服を脱げとはどういう事だとばかりに顔を顰めたヒカルにカメラマンは苛ついたように靴音を鳴らす。
「良いから早く! 俺のイマジネーションが湧いてるうちに、あぁ、上半身だけだから」
その語調に思わずスーツの上着を脱いでしまう。
それほどの迫力があったし、言う通りにしないと終わらないかもしれないという強迫観念もあってヒカルは素直に脱いでいく。
ヒカルがネクタイを外している間もシャッター音が響く。
「想像通り、良いラインだ。スーツ着て隠すなんて勿体無いって」
背中から写されているようだったが、はっきり言ってヒカルの理解の域を著しく越えているカメラマンの行動である。
「これ、普通のカレンダー用の写真撮影でしょ?」
訝しげに問うヒカルにカメラマンは真面目な表情で答えてみせる。
「俺、撮りたいものしか撮らないの、特に綺麗なのが好きだな」
その言葉にうっとりとした響きが含まれているのは気のせいだろうか?
いや気のせいだと思いたかった。
「綺麗……」
呆気にとられるヒカルとは対象的に俄然やる気が漲るカメラマンである。
ヒカルの立ち位置とか微妙な細部まで指示し始め、もちろん自分も色々な角度からヒカルを撮り始める。
「ちょっと目を瞑って」
その言葉に何の疑問も抱かずヒカルは目を瞑った。その瞬間……。
「わわ、冷たい! あーあ折角セットした髪型がぁ」
霧吹きで顔面に水滴が施され、挙げ句の果てにカメラマンの手がヒカルの前髪のセットを乱したのだ。
「この方が自然で良いよ、ねぇ進藤君は恋人居る?」
突拍子も無い質問をしながらもカメラマンはイマジネーションとやらが湧いて出るのか先程よりも熱心である。
一方ヒカルと言えば、いくらスタジオ内が適温に調節されていても水を掛けられて寒くないはずもなく、次第に青ざめていく。
「居ないよ。好きな人は居るけど」
寒さと疲労で素っ気なく答えて、初めて自分が塔矢を想像している事に気が付く。
もちろん頬に血の気も戻り、無意識のうちにヒカルの魅力も増した。
「じゃあ、その子の事考えてみて。髪型は? スタイルは良い?」
独特の塔矢の雰囲気。あの囲碁にかける情熱が自分にだけ向いたらどうだろうか。
「髪は長くて、スタイルも良いな。指も細くてキレイ」
あの碁石を持つ美しい手が自分に触れたら……。きっとそれだけで満足だろう。
恋人という立場には一生立てないだろう自分。けれどライバルという立場だけでは満足できない。
きっと神様は自分達が生涯追いつ追われつするように、けっして交わる事無いように運命たのだろう。
「良い表情! 進藤君が写真集出すなら是非指名してもらいたいね」
やっと満足する写真が撮れたのだろうか。
カメラマンがその命でもあるカメラを降ろす。
「出すとしてもあんたはヤだなぁ」
ヒカルはシャツを羽織ながらカメラマンを見る。どうみても普通じゃない彼に疑問を感じるのももっともだろう。
「ええっ? 女の子は俺が撮ったら綺麗だから率先して指名するんだけどな」
心外だとばかりの口調にヒカルも反撃する。
「それってヌードでしょ? 俺がヌード写真集出す訳?」
裸体のグラビアでは、微妙なラインとかを綺麗に撮る技術とか有るらしいが、そんな物が必要な撮影にだけは参加したくない。
ヒカルの不快な表情にも臆する事無くカメラマンは自分の腕を叩く。
「絶対、売れるの撮る自信あるよ。女も男も欲情するような写真をね」
その気になったら連絡してよとばかりに渡された名刺をヒカルは辞退した。
「……脱がないって。絶対に」
残念そうなカメラマンに、ヒカルは一生会いたくない人物だと位置付け、その日の撮影が終わるのだった。
* * * *
カレンダーのモデルの依頼を受けたのは、塔矢もまた同じであった。
スタジオの扉を開けて長身の塔矢が会釈しながら入ってカメラマンと挨拶を交わす。
「二度目ですね」
そう言いながら荷物を置く。
「塔矢君が一番最後なんだけど、囲碁界も中々綺麗で可愛い子多いね。塔矢君は何を着てても似合うし撮り甲斐があるよ」
カメラマンがセッティングを終えるのを塔矢は椅子に腰掛けて待つ。
「ありがとうございます。先日撮って頂いたのも評判良かったです」
季刊誌の特集について、少なくとも塔矢の耳には良かったとの感想が多く入ってきた。
特に父親が経営している囲碁サロンへ、アキラ目当ての客が増えたとか。
「ちょっと女性ファンには刺激が強すぎたかなぁ。でも俺はセックス、性を表現したいんだよね。まぁ単なるスケベ心もあるけど、人間の美はそこにつきるからさ」
カメラマンの主張に塔矢も苦笑をもらす。
「だからですか」
急に女性ファンが増えた気がしていたのだ。
「まぁ俺は女性を撮る方が好きだけど、男でも撮りたくなる奴はいるね」
ライトの具合を確かめるカメラマン。
一方塔矢の視界に入った『HIKARU』と印字されたCDROMであった。
「これは?」
塔矢の第六感が反応した。これは自分の想い人の名に違いないと。そしてその感は見事的中したのである。
「あぁ、先週撮った進藤君。彼も良い被写体だったよ。おっ電話だ。仕事かな?」
電話に向ったカメラマンに了承を得る事無く、塔矢は手近なパソコンにそれを挿入した。
そうせずには居られなかったのだ。
立ち上がったCDROMにはカメラマンが撮った写真が収められていた。
ただ一つ述べるなら、その写真が合成も含めた、つまりアダルト系として仕上げた彼のほんのジョークの作品だった事だ。
もちろん塔矢はそんな事は知る術もなく。
画面には艶っぽい表情をしたヒカルが現われては消える。
誘うように一枚一枚服を脱ぎ、上目遣いで唇を半開きにした姿は誘っているとしか思えない。
誰かの手がヒカルの頭を押さえ付け、髪が乱れる。
次の一枚は顔を顰めたような表情で、何かから逃れるような動きを見せていて、そして次の一枚にはヒカルの顔に白い飛沫が掛かって……。
白く濁るそれはどう見ても男の『それ』でしかなく……。顔を赤らめて俯くヒカルがフェイドアウトしてそのCDROMがストップする。
今何を見たのかにわかには信じられなかった。
だがそれは紛れもなく進藤ヒカルと『男』との絡みのショットではなかったか?
まさかそんな写真を撮ったとは思いがたいが、証拠はある。そのCDROMを持つ手が震える。
それはまさしく怒りだった。
今まで自分が耐えたのは何の為だったのか? ヒカルがそんな事とは無縁だと思っていたからこそ、もどかしい立場を耐えたのだ。
彼も普通に恋愛をし結婚していくのだと思っていたからこそ、自分の心を殺そうとしたというのに。
なのにこの手の中にあるものはなんだ?
背徳と裏切り。
夢の中のヒカルとはかけ離れた淫靡な存在。夢の中では自分の差し出した手にすら恥じらいを見せ、小さく震えていた。
だが、今のは?
顕らかに誘っている。男の欲望をその愛らしい顔に受けてもなお、まだ満足じゃないとばかりに。
怒りで手が震える。
まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚は中々塔矢から離れようとはせず、それ以上に痛みが増していく。
塔矢の中で、天が墜ちた……。
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