スキャンダラスな彼女 8




 一ヵ月があっという間にすぎたように、二ヵ月目も矢のように過ぎていく。
 このままヒカルとの接点がないまま無意味な時間を過ごすのかと思うと気が重くなってくるアキラである。
 勿論、原因が自分にある事を自覚していたし現況を受け入れるつもりであったが感情をコントロールするのは難しい。
 特に自分の中にある嫉妬という醜い感情に気付いてしまってからが辛かった。
 どうして好きだと感じた事のない女性が男達にちやほやされている事に対して嫉妬しなければならないのか……。
 もしあの夜に彼女と関係を深めていれば、過去の男達と同じ土俵の上にいると納得し、こんな感情を抱くこともなかっただろう。
 度々、ヒカルが男と二人で談笑していたり碁を打っている姿を見かけたが、アキラは見てみぬフリを続けた。
 噂によるとヒカルに囲碁で勝てればどんな要望も叶えてくれ、例えば親密なデートもできるという事で砂糖に群がる蟻のように男が列をなしているという。
 それが本当かどうかは解らないが、ヒカルがもてるという点に変わりはない。
 遠くない未来、誰かがヒカルの特別な存在になるのかと思うとアキラは胃の辺りが重苦しくなる。
 勿論、その資格が自分にない事をアキラ自身自覚していたが、それでもヒカルを見つめずにはいられなかったのである。






 揺れるスカートから覗く白い足。胸元を強調するかのようなデザインの服。
 どうして彼女はあんな似合わない格好をしているのか……。
 アキラはそんな自分の考えを笑う。
 似合わなければどうして男達が彼女をちやほやするのだ? 似合っているからこそ男達も彼女を放っておかないのだというのに。
 センスも良く似合っていたからこそ、彼女がジーンズ姿で昔と変わらない格好をしていると安心したのだ。
 彼女の美しく装った姿を誰にも見せずにすむと……。
 愛した少年の名誉を守るために根拠の無い噂を消すために彼女と付き合うと決めたと思っていたが、本心は皆が彼女に注目するのが嫌だったのだろう。
 初恋の思い出を汚されたくないからと彼女を監視する目的だと己れに納得させてきたがどれもこれも都合の良い言い訳に過ぎなかっただなんて……。
 なんという独占欲だろう。そしてなんと己れの愚かな事か。
 この思いを知る者がいたなら大声をあげて笑うに違い。それで、彼女を愛していないなどとよく言えたものだと。
 スキャンダルにまみれた彼女を好きになるはずがないと思っていないのに、彼女を少年だと思いつつも恋してきた時からずっと変わらずに恋をし続けてきたに違いない。
 しかし、まるで別人のように武装するようになった進藤が僕を許すとはとても思えず、結局この恋は成就しないと決められているのだろうと僕は肩を落とす。
 後悔という二文字が浮ぶ。一体どこで間違ったのか……。そればかりを考えているうちに季節は移り変わっていく。
 進藤を誤解した負い目からか、いつもの僕らしくなく、積極的に関係を修復しようという気力は生まれてこなかった。
 また進藤も僕など存在しないかのような態度を取ったし、実際毎日を楽しそうに過ごしているように見えた。
 こんな時に限って打つ機会すら巡ってこないと僕は落胆していたが、まるで降って湧いたかのような幸運が舞い込んできたのだ。
 囲碁ファンのためにと催されるイベントの仕事で進藤と一緒になった事と、それが泊まり掛けの仕事だった事に僕は小躍りした。
 うまくいけば一度くらいは打てるかもしれないと僕の胸は期待に弾むのだった。
 そして当日。
 解説が芦原さんで聞き手が僕と言う組合せはこれで三度目だったが、同門のよしみからか僕の口も滑らかになる。
 芦原さんの解説が解りやすく、かつ面白いからだろうが客受けも良い。
 受け答えしながらも僕は会場の隅に立っている進藤に意識が向いてしまうのを必死に制御しなければならなかった。
 相変わらず着飾った姿は昔の進藤を思い出させるものはなく、服もシックなパール色のワンピーススーツだったが細いウエストを強調させるデザインは色香さえ感じさせた。
 よく似合っていたが美しく装って形の良い唇を固く結んだ表情は顕らかに拒絶であった事で微かに抱いていた希望も消えていった。
 その後、進藤が指導碁を望む者達に囲まれているのを見ても、声を掛けるどころか近付く事も出来ず、ただ遠巻きにしか見ることが出来なかったのである。
 終わったのだと自分に言い聞かせる惨めさ。
 これからいつまで進藤を見るたびにこんな胸の痛みを感じなければならないのだろうか。
 惨めな気持ちのまま夕食を済ませる。
 芦原さんが隣だったが意識は遠くに座る進藤へと向かってしまい、ろくな受け答えが出来なかったが有り難いことに気にしている様子はなかった。
 夕食の間、隣に座っている人と談笑していた進藤。あの笑顔を自らの過ちで失ってしまったのだ。
 ほんの少しだけで良いから勇気があれば。
 彼女に声をかける勇気があれば。
 僕は機械的に部屋へと戻り寝支度をする。大浴場へと向かう足取りも重く、単なる時間潰しでしかない行動を淡々とこなす。
 部屋へと帰る際、何気なく会場へと足を向けた僕は、そこで指導碁をしている進藤を見付けた。
 後ろ姿だけしか見えなかったが何人ものギャラリーに囲まれている。その正面に座っている中年男性に対し、対局者が自分であったなら……と唇を噛む。
 この胸に沸き上がる感情は嫉妬に間違いはなく、諦めなければと思いつつも足は進藤の元へとむかう。
 未練がましくもその輪へと近付き、進藤の横顔を見た僕は心臓が止まりそうになった。
 夜もすっかり更けていたからだろうが、もう入浴も済ませたらしい進藤は化粧を落としていて、洗いたての髪はより一層自然で健康的な愛らしさを引立てていた。
 またジャージ姿を見ているとまるで少年だと思っていた頃の進藤とそう変わらない事が解る。
 素顔の進藤。
 その時僕は雷に打たれたかのように気が付いた。
 あぁこれが僕が愛した進藤ヒカルなのだ。男だとか女だとか関係無い、僕が好きになった進藤はここにいた。化粧の影に隠れ、そして僕の偏見の影に隠れて……。
 気が付けば簡単な事だったのに、僕自身の思い込みが進藤を隠してしまっていただなんて……。
 過去の男がなんだというのだ。噂がなんだというのだ。そんなもので進藤を失う事の方がもっと辛い事だと僕はようやく悟ったのだ。
 もう僕は惑わない。
 進藤にプロポーズしよう。毎朝素顔の進藤を見る特権を誰にも渡さない。
 会場を閉めるので続きは部屋へと促すスタッフの声に進藤を囲む輪が崩れる。人がいなくなったのを見計らい僕は進藤の視界へと入り話し掛けた。
「僕はずっと君が皆の噂になるのが耐えられなかった。火の無い所には煙は立たないっていうからね。それに僕はスキャンダルとは無縁でいたかったんだ」
 突然現われた僕と突然切り出された話の内容に驚いたようだったが、進藤は僕から視線を外し不機嫌そうに答えを返す。
「品行方正な塔矢らしくって良いんじゃねーの」
 そう言って悪態をつく進藤は昔と何ら変わらなかった。それに気が付かなかった僕はつくづく馬鹿だったと思う。
 だからこそ今度は絶対に真実を見誤るつもりはなかった。
「話は終わっていない。……僕はスキャンダルに巻き込まれる事を恐れていたけれど、君を他の男に取られるのはもっと恐ろしい事だって気が付いた。だから僕と結婚してほしい」
 突然聞けばまるで信じられない話の内容だろう。だが僕の心に偽りは無かった。
 進藤も何を冗談言ってるんだと言いたげだったが、何秒か絡み合った視線に僕が真剣であると気付いたようだった。
「遅せーよ、それに俺が喜んでオーケーするとでも?」
 今更ながらのプロポーズを信じられないのも無理はない。いや例え信じたとしても受け入れられない気持ちもよく解る。
 しかしここで退くつもりはなかった僕は片付けの済んだ碁石を握ってみせた。勝負の合図だ。
「僕が勝ったら結婚してくれるね」
 進藤に勝ったらどんな要求でも快諾してくれるという噂が流れていた事を思い出した僕の申し出だったが、事の真偽は別にしても進藤にその意図は伝わったらしい。
「そう簡単に勝てると思ったら大間違いだぜ」
 その言葉を皮切りに盤上の戦いが始まる。馬鹿馬鹿しいと断られるかと思ったのだが、求婚自体を真に受けていないのかそれとも久しぶりに打ちたかったのか……。どちらとも解らなかったが進藤と打つのは心踊る事だった。
 しかし勝負というのは勝つばかりではない。ギャラリーもなく集中して打てる状況だったにもかかわらず僕は浮き足立ってしまい、つまらない判断ミスをしてしまった結果、僅差で負けてしまったのだった。
 進藤の実力を軽くみた訳ではなかったが、絶対に勝つつもりの勝負に負けてしまった事に茫然とする僕に進藤は碁石を片付けつつ笑顔を見せた。
「塔矢、肩に力が入りすぎだぜ」
 久しぶりの笑顔。その眩しさに僕の心臓は早鐘のように脈打つ。
 そこには昔のままの進藤がいた。出会った頃の屈託のない笑顔、明るい笑い声。ずっと変わっていなかった進藤ヒカル。
 またこの笑顔を失う事になるのだろうか。
 僕は膝の上に置いた拳を握り締める。他に彼女の心を僕へと向ける術はないものかと思案に暮れていた。
 どうすれば彼女の特別な存在になれるのか……。
 唯一の取り柄である碁でも彼女を引き止められないのなら自分に打つ手はないというのに……。
 落ち込む僕はよほど哀れにみえたのだろうか、進藤は渋々と切り出す。
「今夜お前の部屋行くから……」
 振り返りもせずに会場を出て行った彼女の残した言葉はラストチャンスと受け取って良かったのだろうか。
 意図が全く読めなかったが、これから僕の部屋へ来ると言う。心なしか進藤の頬が赤かったように見えたが見間違いだろうか……。
 混乱する頭のまま一人、部屋へと戻り僕は進藤の事を考える。
 こんな夜更けに異性の部屋を訪れるという事がどんな事になるのか進藤も覚悟しているに違いなく、僕は立ったり座ったりと完全に落ち着きをなくしてしまっていた。
 思わずベッドが視界に入ってしまい慌てて視線を逸らす。さらにこんな狭いベッドで大丈夫なんだろうかという邪な考えも振り払う。そのついでに壁の防音はどうなのかと、隣の音が聞こえないか壁に耳を付けるも諦めた。
 冷静な自分がそんなに都合よく物事が行く訳がないと冷めているのに対して、もう一人の自分は暴走列車のようで、進藤を前にして紳士でいられる自信が無くなりかけていた。
 やがて来客を告げるブザーが鳴り、僕は弾かれるように立ち上がる。
 ゆっくりと深呼吸して扉を開けたそこに進藤が立っていた。
「塔矢……俺、」
 視線を落とす進藤。恥じらっているのか言葉が続かない。
 間違いない、進藤は僕と結婚してくれる意志を固めたのだろう。愚かだった僕を許してくれたのだ。
「進藤」
 その肩を抱こうとしたした瞬間だった。
「やっぱさー、お前と打てないとストレス溜まるわ。でさ、あと一局ぐらい打つ時間あるんだろ?」
 茶目っ気たっぷりの笑顔、そしてその手には碁盤と碁石。
「……打ちに来たの?」
「それ以外に何するってんだよ」
 がっくりと僕が肩を落としたのは言うまでもなく、その間に進藤は部屋の奥へと進む。
「てっきり僕のプロポーズの返事を、結婚してくれるって答えを貰えると思ってたんだ」
 やっと絞り出した言葉だったが、それを進藤は一蹴する。
「俺に負けた奴が何を言ってんだよ、ほら、握るぞ」
 落胆と混乱の僕が簡単に勝てるはずもなく、三度目の対局でやっと勝利をおさめるが手放しでは喜べなかった。
 こうして打てるようになっただけでも感謝しなければならないというのに、僕は進藤を、彼女を諦められなかったのだ。
「ったく、辛気臭いなぁ。聞くけど、お前本当にこんな俺で良いのかよ。女らしくしてみても素はこんなだし、第一さぁ、ジャージ姿の時にプロポーズってありえねぇだろ?」
 もう一回やり直しだからな、今度はちゃんと時と場所を考えろよ、と言い残して進藤は部屋へと帰っていった。
 情けない話だが、僕はもう一度チャンスをもらったらしいと気が付くまで数瞬の時間を要したのである。
 ずっとスキャンダルなんてお断わりだと思っていた僕はそこにいなかった。
 進藤を追い掛けるように扉をあけると、僕はエレベーターに乗ろうとしていた進藤へと叫んだ。
「進藤!! 愛しているんだ、僕と結婚してほしい!」
 何事かと部屋から顔を出す人達。その中には芦原さんの姿もある。きっと翌日には棋院中に噂は広まるだろう。
「もっと状況考えろって言ったろ! バカ塔矢っ!」
 顔を真っ赤にした進藤がエレベーターに乗って姿を消し、不様に残される僕。しかし心は期待に膨らんでいた。
 その後、塔矢アキラが誰かれかまわずにプロポーズしている、という噂が囁かれたらしいが僕の耳には入ってこなかった。






 そして……。
 ライスシャワーの降り注ぐ中、僕は隣で微笑む進藤を見つめる。長い春が漸く終わりを告げた瞬間、僕は幸せを実感していた。
 これから共に人生を歩んでいく事になるのだが、僕が進藤を長い間同性だと思っていた事は永遠の秘密だ。




長い道のりでした。混乱するアキラさんを書きたかったのに、こっちが混乱しました。←ダメすぎ。
所詮高那には荷が重かったのかも。また書きたかったところがオチじゃなくて途中の所にあったものだから、終わらせるのが至難の業でした。でも書き始めたかぎりはどんなに駄作だろうと終わらせなければ書いている意味がないって事で自分を騙し騙し・・・。お付き合いくださった方、申し訳ございません。だらだらと書いていたので色々と設定ミスとかあるかもしれませんが、今の脳みそではこれが限界のようです。



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