笑顔をみせて




 最近、進藤の笑顔を見ていない。
 同居を始めてから二ヶ月になるがこんな事は初めてだった。
 仕事が立て込んでいてろくに話が出来なかったのも原因の一つだろう。
 人懐っこい印象のある進藤だったが実際はわりとドライな性質の持ち主だ。一人の時間も平気なタイプだったため、僕とも相性が良かったのだが、今回は流石に放っておきすぎたのか……。
 拗ねているのかとも思い、仕事の帰りに進藤が好きな『アルパマーレ』のケーキを買って帰ったのだが、
「後で食べるから冷蔵庫入れといて」
 の、一言で片付けられてしまい、ボクは落ち込んだ。
 いつになったら食べるのかと、そして食べたときの進藤の喜びに満ちた笑顔を想像して待っていたのに、結局そのケーキは賞味期限ギリギリにボクの胃袋に収まるしかなかったのである。
 ケーキにすら反応が無かったから、まさか心変わりかと落ち込むボクにまるで追い討ちかのようにケーキの甘さが胃に重圧をかけた。
 相手は誰だ?
 和谷という棋士がよく名前にあがるし、彼の家にもよく行っている。行ってほしくないが勉強会と言われればそれを阻む権利はない。
 それに、
「俺達の部屋に誘うよりイイだろ?」
 と言われるとさらに阻む理由が失われる。
 進藤の周辺には怪しいと思われる人物が多すぎて僕は頭を抱える。
 大阪の社だって頻繁に東京に来ているというし、指導碁に行った先の社長に食事に誘われたとも聞いた。
 こんなにもボクは進藤の事が好きなのに進藤はボクに笑顔を見せる事すら嫌になったのだろうか……。
 考えれば考えるほど僕の心は沈んでいく。
 頼む、ボクに笑顔を見せてくれ……。



 甘ったるいケーキがボクの胃袋に消えてはや三日。
 ようやく進藤が笑顔で起きてきて、ボクに向かって笑いかけた。
「この間投了したヤツさ、どうも納得いかなくってずっと考えてたんだけど、見つけたぜ最良の一手」
 楽しそうに笑う進藤。
 馬鹿馬鹿しい話だったが、どうやらライバルは碁そのものだったようだ。それもボクと打った碁。
 検討したときも意見を戦わせたが進藤はずっと納得出来ていなかったらしい。
 実際に並べてみると進藤の言うとおり見事な一手で、形勢は一気に逆転したのである。
 たかだかそんな事でボクが悩まされていたのかと思うと拍子抜けだったが、碁を打ち続けるかぎりは仕方のない事になるのだろう。
 




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