誘惑の甘い罠



 西暦2306年。武力介入を開始した俺達は戦術予報士の作戦プランに沿って忙しい毎日を過ごしていた。
 その日、トレミー内で俺も急いでいたのだ。
 デュナメスの微調整だけなら構わないかと思っていたが、その後でヴァーチェのメンテナンスがあるからとティエリアが神経質そうに急かしてきたのである。
 触らぬ神になんとやら。そんな訳で急いでいた俺は角を勢いよく曲がってきた刹那と衝突してしまったのだ。
 彼はもっとも若いガンダムマイスターで確か今年で16になる。接近戦を得意としバーチャル訓練でもハイスコアを出す優秀なマイスターだ。
 俊敏な彼は小柄であったため衝突の作用で飛ばされかけて、俺は慌てて手を伸ばす。
 しかし相当焦っていた俺は刹那の手を強く引きすぎてしまったらしい。
 一度は止まったはずだったのに体勢を崩した刹那が腕の中に飛び込んでくる。

 俺の名誉のためにこれだけは言わせてもらいたい。

 これは単なる偶発的なアクシデントであって、けっして8才年下の少年の唇を奪う意思はなかったということを。
 そう、ほんの一瞬だったが俺と刹那の唇が触れあったのだ。
「おっと、わりぃな」
 大丈夫かと慌てて身体を離すがどうやら手遅れだったらしい。
 頬を染めた刹那が口元を押さえこちらを見上げている。
 数々の女を泣かせてきた俺だが、まさか同僚の少年までを惚れさせるとは考えもしなかった。
「あっあの刹那くん?」
「俺は、俺は……、もうロックオンと結婚するしか!」
 ガバッと抱きつかれかけたのを慌てて引き剥がす。
 待ってくれ! どう考えたらキスの、それもぶつかっただけのそれで結婚なんて発想ができるんだっ!無理だ! 絶対に無理!
 その場は急いでいるからと適当に誤魔化した俺は自室に戻って、事の重大さを思い知る事になる。何故なら身の回りの物を提げた刹那が俺の部屋にやってきたからだ。
「夫婦は一つのベッドで寝るものだ」
 なんの嫌がらせかと思ったが刹那の表情には迷いがない。
「いや、それはちょっと…」
 というかいつの間に夫婦になったんだ?
「ロックオンは俺が嫌いか?」
 いつもはキツイ眼差しの刹那だったが、その大きな瞳が潤んでいた。
 捨てられる事を怯えるような仔猫のようで可哀想になってくる。
「ほ、ほら部屋も狭いしベッドも一つしかないだろ」
 二人で寝るにはかなり手狭だ。おまけにベッドを二つも並べるようなスペースはない。
 そう理詰めで説得すれば納得してくれるだろうと考えたのがまずかった。
「心配ない。ダブルを用意してもらった」
 もうすぐ搬入されるとの刹那の言葉に俺はがっくりと肩を落とす。
 まるで袋小路に迷い込んだ気分だった。
 確かに刹那は可愛いが男だし、俺にはそういう趣味はない。
 荷ほどきを始めた刹那をどうやって追い出そうか考えていたが良い案は思い付かないまま時間が過ぎる。
「なぁロックオン知っているか? 一つのベッドで寝ると子供が出来るらしい」
 荷ほどきの手を止めた刹那の質問だったが、それはジュニアスクールの子供レベルの質問じゃないだろうか。 まさか本当に知らないとか?
「あー、それはだなぁ」
 誤解も多々あるがここで訂正するのはマズイだろう。セックスをすると言い出されたくないし、何よりも男とセックスだなんてごめん被りたい。
「俺自身がまだ子供だからまだ無理かもしれないが、きっと跡継ぎを生んで見せる」
 宣言した刹那に眩暈を覚える。ぜってー無理だ。ありえない。どこの世界に子供を生む男が居るっていうんだ。
 近代になって同性婚は珍しくなくなってきたが流石に子供までは作れない。
 どう刹那に説明すべきか。
 悩む俺の眼前に刹那の顔。そして唐突な言葉。
「キス、しないのか?」
 上目遣いでキスをねだるような仕草。
「そ、れはちょっと」
 勘弁してくれよ。俺には男にキスをする趣味は持ち合わせてませんから!
 俺の心の叫びを察したのか刹那が離れていく。
 しかし、ほっと胸を撫で下ろした瞬間、刹那の大きな瞳からぽろりと涙が落ちたのだ。
「俺はロックオン以外とは結婚出来なくなったのに、お前に愛されないなら生きている価値がない」
 なんでも刹那が育った地域では初めてキスした相手と結婚する習わしらしい。今時おそろしい慣習だ。
「あのさ、刹那の価値ならマイスターとしてでも充分にあるだろ」
 説得を試みるが刹那は首を横に振る。
「要らないなら俺を殺せばいい」
 すっかり意気消沈してしまった刹那になすすべなく、俺は覚悟を決めた。
「あーもう!」
 触れるだけのキス。
 それだけで、まるで花が咲くかのようににっこりと笑った刹那が可愛いくて、まぁ挨拶程度のキスぐらいなら良いかと安易に考えてしまったのがすべての元凶だろう。

 波乱万丈はこれからだと今の俺に知るよしもなかった。










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